36歳の私は毎日お母さんとお風呂に入る
皆さんは何歳までお母さんとお風呂に入っていただろうか。
聞いたところ、多くの人は小学生までで一人お風呂デビューするらしい。
やはり小学校高学年から中学生くらいで思春期に入り、心も体も繊細で微妙な時期が訪れるゆえ、
親に見られたくなくなるし、お風呂では一人になりたいと思うし、親もそれを察してそろそろ…と言うのが自然な流れだろう。
ところが驚くなかれ、36歳の私は未だにこのデビューを果たせておらず、
今でも毎日お母さんと一緒にお風呂に入っているのである。
2人入っても大丈夫なほど大きなお風呂をお持ちなのかしらと思った方、断じてそんな大浴場ではない。
1畳弱くらいのごく平均的、むしろ平均よりちょっと狭めの湯船に親娘2人体育座りで浸かっているのである。
なぜ体育座り風呂が定着したのか、はっきりとは分からない。
最初は、追い焚きの光熱費がもったいないからというありがちな理由だった気がする。
私だって人並みに思春期も反抗期もあったし、別に思春期や反抗期でなくても風呂くらい1人で足を伸ばして入りたい。
だからもちろん1人で入ろうと何度も試みた。
しかし、追い焚き云々では説明がつかないモチベーションでお母さんは一緒に入って来る。
寝ている隙にコッソリ入っても必ず目を覚まし、なぜか一緒に入ってくる。
どんな深夜に帰宅しても、なぜか先に入ることなく私の入浴時間を待っている。
めちゃくちゃ喧嘩して一言も口をきかない冷戦状態でも、なぜか一緒に入ってくる。
どんなに訴えても、1人風呂の快適さをプレゼンしても、無理だった。
たまには一緒に入ろうか、とか、タイミング一緒だったら入ろうとか、そういうレベルではないのだ。
追い焚きなど不要なくらい、お母さんは親娘風呂に対する情熱に薪をくべ36年間ボイラーし続けているのである。
これはもうほとんど呪いだと思う他なく、いつしか私は1人で入ることを諦めた。
そんな風呂の呪いがかかっているからか、私はお母さんにお風呂で何でも話すようになった。
家族といえどお互いいろんなスケジュールで生活しているため、顔を合わせない日も多かったりする。
でも必ずお風呂では一緒になる。一日の終わりは必ず体育座り。
2人で足を三角にしながら、今日はどんな一日だったのか私はふやけながら話す。
来週事務所ライブなのにネタができていないとか、あさって事務所ライブなのにネタができていないとか、明日事務所ライブなのにネタができていないとか…
その日このネタでスベッたとかウケたとか、おもしろ荘は賞レースと同じかそれ以上に影響力を持つとか、湾岸スタジオのオーディションは交通費が高いから落ちた時のリスクがデカいとか、仲のいい先輩のコンビ名や解散、苦手な先輩の服装、
このコスメを買おうと思っているけどどう思うか、とか…
とにかくそんなことお母さんに言うか?というようなことでも細かに話す。
お母さんはもちろんネタのアドバイスをくれたりする訳ではない。
その代わり、「大変だね。でもなーちゃんならできる。大丈夫」という言葉をくれる。
呪いの風呂なのに、魔法にかかったような気持ちになる。
どこの秘湯にもない、とびきりの回復成分が含まれている。
お母さんの異常なほどの親娘風呂への情熱の真意は、コミュニケーション不足を補い文字通り裸の付き合いをし続けること、
そしてすぐにもーダメだあ〜!!となってしまう私を毎日温めるためだったのかもしれない。
1人で風呂に入れなくても、
私はお母さんのことが大好きだ。
(もちろんお父さんのことも大好き)
生き馬の目を抜くこの世界において、とんだぬるま湯に浸かってるなというご指摘もあるだろうし、
36歳になってまでお母さんに励ましてもらっとるんかいというツッコミもあるだろうし、異常といえばやはり異常だ。
気分が乗らない時や喧嘩しているのに無言で一緒に入らなければならない時は地獄だ。
けれどこのお母さんと一緒のお風呂は私にとって、毎日入れば心も体も健康になる、地獄温泉巡りなのである。
私は先日、入籍をした。
もう少しで実家を出る。
引越し先のお風呂は2人で入れるような大きさはないが、1人で充分に足を伸ばして入ることができる。
大丈夫。私の中には、お母さんがくれた36年分の優しさ成分がもう染み込んでいるのだから。
それでも私は無意識のうちに、
湯船で小さく体育座りをしてしまうのだろう。