なりたがり
子供の頃から周りに宣言していた。
絶対に女優になる。
明確な夢を持ち信じ続けた人だけが、
その通りの未来を手に入れる。
有名人が小さい時既に文集や作文に、将来こうなる、と宣言していて、その通りになったというドキュメントを見ることがある。
それは漫画家さんなり野球選手なり歌手なり、本当に小さい時からそれが好きで好きで仕方ない、という情熱の出発点の元、開けた道だ。
ここで私の中学生の時の卒業文集を見てほしい。
これがガラスの仮面の北島マヤちゃんみたいに、お芝居していると、生きてるって気がするの…!!
みたいな子の作文だったら、この夢への固い意志と恥じない勇気、情熱に拍手を送りたい。
しかし驚くなかれ、これを書いた中学生の私は演技へ情熱など一つも燃やしていないのだ。
絶対なれる、絶対に大丈夫、と絶対を4回も使ってその根拠はどこにもないし演技が好きだから女優になりたいという1番大事なことも書かれていない。
そりゃだって元々ないんだもの。
なれない方に6万円をかけると言った当時の同級生の本気に対して、10万円というギリギリ払えるかもしれない金額しか賭けないところにもそれが現れている。
せめて作文にだったら1億かけても大丈夫とか書けばいいのに情けない。
しかもこれだけ絶対なれると言いながら、最後4行で自ら妥協案を提示しフリーターへの保険をかけている。
タチの悪い勧誘とクーリングオフ対策みたいな夢。
まったくどこがオンリーアクトレスなんだ。殴りたい。
オンリ〜〜〜〜と伸ばした線が弱りまくりの心電図みたいに見えてくる。
これを書いたのが小学生ならまだしも中学3年生というところが本当に恐ろしい。
15歳?えっ?結構大人じゃない?結構身の程分かる年齢じゃない?もう自分は中の中の下くらいって分かってこない?
将来の夢というより、
将来の悪夢なんですけど。
この文集を今でも持っているかもしれない同級生160人を訪ねて自分のページだけを切り取って回収しこの作文だけで作られた全160ページの本を作りたい。
全然作りたくない。
責任持ってお焚き上げする。
ではなぜこんなに女優になりたいなどと言っていたのかというと、
ひとえに自分の顔面偏差値を全然分かっていなかったことと、
当時テレビに出る人の中で女優が1番カッコいいと思ったことだ。
先輩芸人さんが言っていた。
「なぜ売れたいのかといえば、人を喜ばせたいとか笑いで誰かを救いたいとかあっても、なんだかんだ、有名になってチヤホヤされたい、が原点だと思う」
ご名答。
石出少女は有名になってチヤホヤされたかった。
YouTubeもインスタもTwitterもなかった当時、そうなるにはテレビが圧倒的だった。
テレビに出られる全ての人に憧れていた。
テレビに出られる全ての人が輝いて見えた。テレビに出たくて出たくて出たくてしょうがない子供だった。
わたしは、テレビに出られる何かの人に、〝なりたがり”の子供だった。
そこに対しては間違いなく情熱を燃やしていたと思う。
私は今芸人になって、
3年前の2017年に幸運にもピン芸のNo. 1を決めるR-1ぐらんぷりの決勝に行かせてもらった。
賞レースの決勝を目指すというのはやっぱりすさまじいことで、
その中に一度は身を置いたからか、
この前後数年は、おお、私はネタをやりたいから、ネタを認められたいから芸人になったんだ…!!
ネタでこそ…!
ネタであるとき…!
ネタであれば…!
ネタであれど…!
…?
みたいになっていた。
その気持ちはもちろん今でもあるし、いいネタは作りたいし、
お客さんが大笑いしてくれた時の嬉しさは他のどの喜びにも代え難い。R-1の決勝にも頑張ってまた行きたい。
でも少し時間が経って、
近頃はそんな、幼かった時の自分が恥ずかしくも愛おしい気もしてくるので、
思ひ出ぽろぽろ的にひっそりとnoteに書いてみたくなったのです。
どんななりたがり出奈々子ちゃんだったか、アイタタタ…とか、うわぁ…とか、ヨシヨシ、とか思いながら、綴っていきます。
よかったら見守り読みしてください。
とりあえず2020年現在は、
同級生のカズ君に6万円の支払いと、
理科の和歌山先生に35歳の逆立ちをお見せしたいと思う。