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こころはればれ おかねはない
知的障害の長女が通所に出かけたあと、ベランダに洗濯物を干す。
今日も、悔しいくらい晴れている。
私の心は、空よりも、もっともっと、はればれとしている。
ああ、気持ちがいい。
70年以上生きてきて、怒り、悲しみ、憎み、妬み、悔しさ、苦しさなど心もちは激しく変化し、ジェットコースターのような経験をし、うつ状態になり、世界が灰色に見えていた時期を長く過ごしてきた。
それでも、今は、すっきりはればれ。
心に重たい感情はなく、軽々としている。
自分の心が軽いのは、もしかしたら、お金のない生活をしているかもしれないなとふと思う。
失うものもなし。
肩書も、名誉もない。
そして何よりお金もない。
お金がないのはいい。
無駄な買い物をしないから、物は増えない。
断捨離する必要もない。
余った食べ物を捨てるなんて、もったいないことはしないから、心苦しくはない。
野菜は近くの畑で買う。
たいていは一袋100円なので、長女はこれを100円ショップと呼んでいる。
夏が旬の生木耳も100円。これはおいしい。
とれたて野菜はとにかくおいしい。
感覚過敏の私は、外食をしないから、食費があまりかからない。
グルメでもないから、ぜいたくはしない。
お酒は好きでないから飲まない。
服はいたんだら、大好きなお直しをして、刺繍やアプリケをして、何十年も着ている。
市立のプールや図書館を利用しているから、民間のジムの会費もかからないし、本代もかからない。
今まで、介護職や認定調査員をして、めいっぱい、働いてきたのだから、私は市の施設を堂々と使う。
たくさんあった本は全部寄付してしまった。
なんで、お金がないかといえば、障害のある子を抱えたシングルマザーだったので、非常勤の仕事しか付くことができなかったからだ。
だから今は国民年金で暮らしている。
国民年金は2カ月で15万円位なのである。
長女の障害基礎年金もどっこいどっこいの金額で、これで二人で暮らしている。
貧乏ではあるが、みじめではない。
貧乏ではあるが、けちではない。
障害のある子の親は離婚率が高い。
我家も例外でなく、配偶者はとっとと逃げ出してしまった。
障害のある子を育てながら、時間をやりくりして、無理無理きつい仕事をして、ワンオペで働いてきて、この老後の暮らしがある。
かつての同級生たちは、経済的には、私とは雲泥の差の暮らしをしている。
お金の心配のない暮らしは、精神的に楽だろうなとは思うが、マスコミが煽り立てる、「老後の資金は2000万円必要」というようながセネタには踊らされないで済んでいる。
だって、生活できているからね。
もしも、あの時、ああだったらとか、もしも、子どもが健常者だったらとか、もしも配偶者に恵まれていたらとか、昔は考えたこともあったけど、今は、せいいっぱい、潔く生きてきてよかったなと思う。
なぜなら、こころはればれで、毎日を過ごせるのだから。
長女が通う通所施設で、子ども食堂をする。
痛みをわかっている人が、手を差し出す。
世の中って、そういうものです。
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