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ウ・ヨンウ弁護士は天才肌 第3話 ハンス・アスペルガーの話
弁護士として働きだした、自閉スペクトラム症のウ・ヨンウ。
職場では鯨の話はしない。
同僚のジュノさんの提案で、鯨の話は時間を決めてすることになった。
第三話の依頼人は、自閉スペクトラム症の青年。
ウ・ヨンウと違って、知的な障害のある自閉スペクトラム症。
大きな体で、ペンスというペンギンのキャラクターが大好き。
ペンスがプリントされたシャツに、ペンスのショルダーバッグ。
日本で言えば、キティちゃんだらけのうちの長女。
年齢なんて関係なく好きなものを着る。身に着ける。
青年の両親は、知的に障害のない、むしろ天才のウ・ヨンを見て少し複雑な気持ちになる。
どうしても、わが子のタイプと違う自閉スペクトラム症の人を見ると、ええって思うことがある。
自閉症はスペクトラムというだけあって、一人一人全く違う。
そしてこの裁判では、弁護人であるウ・ヨンウが自閉スペクトラム症であることを、検事に追及されて、法廷の中で、頭がくらくらになってしまう。
目の前で、大きな声で、があがあいわれると、頭の中がもうどうしていいかわからなくなって大混乱。
そして、一人になったときに、彼女は、ハンス・アスペルガーについて考えをめぐらす。
ハンス・アスペルガー
1944年に、ウィーンで、「小児期の自閉的精神病質」を持つ患者グループを記述した論文を発表した。アスペルガーの論文には、いわゆるカナータイプの自閉症だけではなく、言語技能がすぐれているものがいることが記述されている。
カナーはウィーンからアメリカのボルチモアにわたり、1943年に「早期乳児自閉症」についての論文を発表し、自閉症は、情緒障害であり、子供の育て方に問題があると多くの人が信ずるようになった。
アスペルガーの「知的な遅れがなく、言語能力のある自閉症」についての論文は、ドイツ語で書かれていたために第二次世界大戦時では、敵国語に翻訳されることがなく、世界中に知れ渡ることがなかった。
1981年に、ローナ・ウィングがハンス・アスペルガーの論文を基に、アスペルガー症候群の概念を提唱した。
そして、カナー型自閉症から、アスペルガー症候群のように知的な遅れがない発達障害までを含んで、自閉症スペクトラム(連続体)として認識されるようになった。
ローナ・ウィングがいなかったら、アスペルガー症候群という概念は、ここまで、広まらなかったかもしれない。
ところが、ハンス・アスペルガーは実はナチスで、「障害のある人は生きていても仕方がない。」と言う優生思想の持主であったことが分かった。
そこで、ウ・ヨンウは考える。
80年前だったら、私も被告の自閉スペクトラム症の青年も、生きてはいられなかったのかもしれないと。
DSM-5では、アスペルガー症候群も、自閉スペクトラム症のくくりに入れられることになった。
自閉スペクトラム症の特性は、だれでも少しはもっている。たくさん特性を持っている人と少しの人は連続していると、村瀬学は2006年に書いている。そしてこうも書いている。
「知的世界」や「社会機構」の中では「おくれ」はつねに「実体」として扱われるのに、「くらし」の中では「おくれ」があっても、共に生きる人との関係の中で「おくれ」と見なされないで暮らすことがありうる。そういう「くらし」の中では、「おくれ」は「関係」の中で「ふつう」として意識されることがあるのだ。
「おくれ」があまりにも医療機関や教育機関の関係者の尺度で見すぎていることへの批判のためにこういうことを強調している。
速度をゆるめた「くらし」の中では「おくれ」が「おくれ」として意識されなくなることについて社会や文明はもっとちゃんと受けとめて考えるべきである。
自閉症ーこれまでの見解に異議あり 村瀬学 筑摩新書
そうなのだ。
心理療法も、さまざまなプログラムもたくさんあるが、自閉スペクトラム症の人がその人らしく、ゆったり暮らせる「くらし」と「関係」が何より大事だと、長女との49年間の生活の中で、実感している。
どんどん、頭の中のデータベースが増えてきて、関係性も増えてきた、ウ・ヨンウ弁護士、とうぶん、目が離せない。
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