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川の向こうの人びとの夢を見る

歳を重ねるということは、とても素敵なことだ。
なぜなら、若いころの傲慢さは、少しずつ薄くなっていくし、自分の器がどれくらいなものなのかもわかってくる。
そして、もっと、いいことは、自分の中に、もう一人分くらいのスペースが持てるようになり、障害のある長女を自分の中に受け入れても、ゆったりと生きていくことができることだ。

このようなことは、本を読んだだけだったり、学位をいくら持つことができたとしても、かなうものではない。
コツコツと毎日を自分の足で歩いて、自分の手で工夫して、自分の心で感じてきたから、素敵な毎日を送ることができるようになっただけだ。

だから、劣等感を持つこともないし、あるがままの自己評価で生きることができる。

とても、心が軽い。

長女に障害があるとわかったときは、それは、崖から突き落とされたような、絶望の底に落ちたような気分だった。
それは当たり前のことだから、その当時、そのような気持ちになった自分を責めることはしない。

でも、その次にやってきた気持ち。健常者の子どもを持つ親たちに対して、自分が悪いわけでもないのにもかかわらず、自分が「下」であると思ってしまったこと。
健常者の方が「上」だと思ってしまったこと。
それは、小さいころから生きてきた社会からの擦りこみであったかもしれないし、少なからず、自分は上等の人間であるという、優越感。
突き詰めてみれば、優生思想だった。

だから、思ったことも言えず、常に下手に出て「上」の動向をうかがうという歪な生き方をしていた。
その当時の自分は、今から思えば、なんと情けない存在であるかと恥ずかしくなるが、それも、私である。

そのような生き方をしていたから、支援者、先生、専門家という類との間に、カウンターというか、川というか、とにかく溝が存在していた。
今から思うには、その「溝、川、カウンター」が「障害」であった。

大げさに言えば、社会との断絶とか、孤立などは自ら作り出していたに他ならない。
でも、若いころは、支援者との間に横たわるカウンター、あるいは川を強く意識していた。
なぜ、支援者と障害者とその家族との間には、「目には見えない」川が存在するのだろうかと思っていた。

しかし、ある映画のワンシーンを見ることで、私の心はあっという間にほどけていった。
それが「モーターサイクル・ダイアリーズ」の、若き日のゲバラが、一人で、川を泳いで、向こう岸のハンセン病患者さんたちのもとに行くシーンだった。
そうだ、川は渡ることができるんだ。
そして私は夢を見た。
川の向こうには、ピンクのエプロンをつけた女性たちが、ひらひらとする洗濯物を干していた。

夢には出てこなかったけれど、私は確かに、川の向こうにいて、ピンクのエプロンの女性たちと一緒だった。
私もとうとう川を渡ったのだ。

川と思っていたものは、私の心の中にある、障害者差別の気持ちだった。
障害のある子がいるから、私は、支援者の人たちより「下」の存在、劣る存在だと思っていたのだ。
そして長女に、本当に申し訳ない気持ちになった。
今まで、母親である私が一番、差別していたんだとわかったから。
母親である私が、一番、優生思想の持主だったとわかったから。

ほんとにごめんなさい。
夢はいろいろ教えてくれる。
心の中を明かしてくれる。

今は、もう、私の心の中には、カウンターも川もない。
長女と共に穏やかに暮らしている。


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