今だけゆっくり、もうすぐしゃっきり
「いきたくない」
「いきます」
「おうちにいたいです」
「いきます」
「わかってる」
家に居たいけど、ショートステイには行きますという、複雑な気持ちを抱きながら、ともかく、知的障害のある長女ほかろんは、昨日ショートステイにお泊りしたのでした。
生活介護の園からは、職員さんが車でショートステイ先に送ってくれるのですが、先月送ってくれた職員さんが、月曜日お休みだったそうなのです。
そこで、ほかろんは、職員さんは、風邪をひいて休んだんじゃないのか。
では、誰がショートステイに送ってくれるんだ。
とすごく不安になってしまったそうです。
ゆっくり、ぽつぽつと、なぜ不安になったのか話してくれるようになりました。
言語化できなかったころは、いらいらしたり、怒ったりしていました。
ほかろんは、
「わたしは、かいわができる。」と水泳カウンセリングの先生に言われたと話してくれました。
ほかろんはずいぶん自信がついてきたようです。
ほかろん自身のプライド、やればできること、でもやりたくはないこと、やってもいいけど、やりたくもないこと、どっちつかずの感情も持てるようになってきたようです。
それはそれですごく嬉しいことですが、母としては、ほかろんを尊重していかないと、傷つけたりしてしまうなあと、心がけています。
知的障害の人に対して、判断力がないだろうから、決めてあげるとか、こうしなさいとか言う人もいたりしますが、言葉にできない気持ちはあります。
でも、よく考えてみると、それは障害のあるなしにかかわらず、誰に対しても同じなのだなと思います。
しかし、ほかろんのいない朝は、自分のペースで動けるし、「妖怪ごっこ」だとか、「刑事部長ごっこ」だとかしなくていいし、「いやだ、いやだ」とやり合うこともないし、エネルギーを使うことなく過ぎていきます。
ああ、いつも、なんとものすごいエネルギーを消費していたのか。
疲れるわけです。
疲れを取るためには、障害者の母にはレスパイトが必要です。
でも、現実には、こうして休めている母親は、そう多くはいません。
それは、介護人材が不足していること。
ショートステイをはじめとして、福祉事業所が不足していること。
そしてもっと大きな原因は、世間の目と自分の心です。
障害者や高齢者のケアをしている人の多くは、レスパイトや、施設利用などに罪悪感を感じています。
自分が全部やらなければ。
本当はもっとできるのに。
自分が休むなんて申し訳ない。
世間や親せきに何と言われるかわからない。(世間や親せきは何もしてくれていないのに)
などと思ってしまいます。
まあ確かに、安心できる施設ばかりではありませんけど。
自分の目を信じて、サービス事業所を選び、自分の心と体に正直になって、サービスをうける。
ケアしている人が、そう思ってサービスを利用できるようになればいいです。
しかし、時間はあっという間です。
もう少ししたらほかろんの「モニタリング」に行って、そのあとお迎えです。
もっとたくさん、休みたいです。