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おかあさんもいい子になったね。

昨日ほめられました。
「お母さんもいい子になったね。」って。
先月は、
「やっといいお母さんになったね。」ってほめられました。

74歳になって、「いい子になったね」ってほめられたなんて、まれな経験でしょう。
私は月に一度、神経内科に通院しています。
もともと、長女が通院していたクリニックなのですが、私自身いろいろな症状があるので、かかるようになりました。
ただし、担当医は別々です。
このクリニックは、数10年前、長女がかかっていた国立病院の先生が定年後開業したクリニックです。
名誉院長、院長、副院長と、3人の先生はそれぞれ役職があり、長女の担当医は副院長、私は名誉院長にかかっています。
名誉院長はもう80代です。
そういえば、長女が中学生のころは、名誉院長も、リエゾンの先生みたいに髪の毛を後ろで束ねていたこともあったなあと思い出しました。

昨年末から、院長の持論。
「ごめんね。」を自分から言おう。
「ありがとう。」と言おう。
「とにかくほめる。」
「この3つを行えば、子どもがどんなに騒いでいても、どんなに障害があっても、静かになるよ。
そして何より、自分の気持ちが楽になるよ。」
と言われて、私は実践していたのです。

ちょっとしたきっかけで、易怒性が増し、攻撃性がマックスになるという躁病がある長女。
大きな波はこなくても、1日に一回くらい、ヤダアヤダアの大襲撃やら、大声で怒鳴りだすなどのことがある長女。
どうしたいいのか毎月相談していました。
そして、この名誉院長の持論を実践していた次第です。

「障害のある人はあまりほめられることがない。
障害のある人は謝ってもらったことがあまりない。
だから、ごめんね。とかありがとうと言われると、『え』って思って静かになるんだよ。何より、おかあさんの心が楽になるよ。」

それで、どうなったかというと、
まあまあ平和が保たれています。
まあ、1日一回くらいは、ヤダアヤダアの騒ぎがあるのが長女。
だからまあまあよしとして。

朝は、
「起きてくれてありがとう。」
「洗濯物出してくれてありがとう。」
「朝ごはん、おいしく食べてくれてありがとう。」
夕方は
「夕刊とってきてくれてありがとう。」
「お皿片づけてくれてありがとう。」
もう、家に帰ってきてくれただけでありがとうです。
もはや、わざとらしくなく、ありがとう。

あ、っと思ったときには、
「ごめんね。」とすぐ謝る。
長女がうるさくしたら、うるさいきっかけを作ってしまったことに謝る。
なんで私が謝るのだろうなんて考えないで、まず、謝る。
そうすると、空気が変わるので、少し和む。
頭にきてても怒らないで済む。
怒ると心が苦しくなり、それを引きずってまた苦しくなるけど、怒らなければ、「ううっ」とか「ぐうっ」と思うだけで済む。
たまには怒るけど。 

私の表情が少しだけど穏やかになってきたかも。(少し意識している)
何しろ、長女は私の表情よく見ているから。
そうして、3か月。
昨日、名誉院長にこの話をしたら。
「おかあさんもいい子になったね。」と褒められたのです。

いい子?
なんで、おばあさんの私が、いい子?
と思ったのですが、はっと思いました。
人間みんな自分の中の、心の中の子どもを大事にしてもらいたんじゃないかな。
そして、一番に他人じゃなくて自分が、自分の中の子どもを大事にしてあげたらいいのじゃないかな。

テイク・ナット・ハンというベトナムの僧侶が「抱擁」という本でこんなことを書いてました。

「おかあさんが泣く子をあやすように、私たちは、自らの苦痛に対して、世話をしてあげなければなりません。」

テイク・ナット・ハン
抱擁



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