三鷹オスカー 3本1000円
JR三鷹駅南口に、かつて三鷹オスカーという名画座があった。
1951年に開業し、1990年に惜しまれつつ、閉業した。
学生時代は、3本立てで1000円というのはうれしいから、しょっちゅう通った。まだ、ビデオも普及してないから、映画は映画館で見る時代だった。
しかし学生時代の気楽さ、好きな時に好きな映画を見ることができるというのは、私にとっていっときの幸せに過ぎなかった。
まだ、離婚していなかったころ、障害のある長女とその下の妹たち、合わせて4人の娘を育てながら、自分の時間をやりくりするのは至難の業だった。
それでも、やっぱり映画は見たかった。
映画を見るのは、家の中では、内緒にしていた。
なんでそんなに映画を見たかったのだろう。
障害のある子を育てる苦労は、社会からの圧力だけではない。
むしろ家庭内からの無理解、暴言が私を苦しめていた。
そのようなつらい家庭から、少しでも自分を解放させてあげるための、数時間の暗い映画館の空間は、当時の私にとって、かけがえのない時間だった。
そんな時に、三鷹オスカーにかかっていたのが、ウディ・アレン特集。
3本立て映画を見るのは、私にとって大冒険だった。
携帯電話などない時代、子どもに何かあったら、学校から家へ電話が来る。
その時、家にいないで、電話に出られないとなると。
その後に飽きることは恐くて考えられない。
だけど、どうしても見たかった。
誰が何と言っても見たかった。
ひどい母親だと言われても見たかった。
「カイロの紫のバラ」
ミア・ファロー演じる、セシリアはウエイトレスをしながら、失業中の暴力夫を支えて生きていた。
セシリアの楽しみは映画だけ。
ある日映画を見ていると、映画の主人公トムが、第四の壁を破ってセシリアの前に現れた。
白黒の画面から、一挙にカラフルな現実になる。
ほんのひとときでいいから、幸せを感じることができたら。
不幸のどん底にいるときに、少しでも気持ちを明るくすることができたら。
どんなにいいか。
だから、セシリアは映画館へ足を運んでいた。
それは、私と全く同じ。
つらい気持ちも、酷い言葉を受けて傷ついた心も、ほんのひととき、忘れさせてくれる映画の力。
その後、紆余曲折の末、無事離婚が成立し、私は自由を手に入れた。
見たい映画を自由にみられる。
読みたい本を自由に読める。
今の自由な生活を手に入れるまでにお世話になってきた映画の数々。
私は、映画セラピーと呼んでいる。
映画は見るだけでなく、見ながら自分の心が反応し、自分も新たな体験をすることができる貴重な場なのだ。
心の中に訴えてくる、シーンや、言葉や、小道具の数々。
時空を超えて、直接、私の脳内に広がる宇宙空間。
今は、配信や、BSでたくさんの映画を見ることができるようになった。
こんな幸せな時代が来るなんて思わなかった。
三鷹オスカーには、もう一つ思い出がある。
私がまだちいさいこどもだったころ、
「ノンちゃん雲に乗る」という映画を見に行った。
だけど、満席だった。
しかし、支配人さんは、舞台に折りたたみいすを置いて、舞台の上で、スクリーンを見るという、不思議な体験をさせてくれた。
三鷹オスカーは舞台が広かったのだ。
デジタル画面の今では想像もつかないけど。
石井桃子原作で、新東宝の映画。
今でも、、木に登っていたノンちゃんが落っこちて、雲の上にのって、おじいさんに出会うシーン、覚えている。