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ごめんね。

ひとつきに一回、私は神経内科にいく。
クリニックの名誉院長と5分から10分くらい話をする。
長女が通院するクリニックで、長女の主治医ではなく、名誉院長に会う。
長女の躁状態に左右される自分のことを、話すため。
「大変だねえ、でも無理はしないでね。」といつも言われる。

昨日は、いつもと違った。
「いいこと教えてあげる。」とニコニコしながら先生が話し出す。
「あのね。ももこはもっと大変なんだよ。
障害のある人はね、たくさんたくさん失敗をしてきて、そして失敗をするたびに、怒られてきて。ずーっとね。
それがね、頭に残っちゃってるの。
だからね、ヤダア、ヤダア、と言って大きい声で騒ぐんだよ。
障害のある人がヤダアヤダアと言ったら、一歩引いて、
『ごめんねえ』って言ってあげて。」

でも、ヤダアヤダアと言われたら私だって傷つくんだけど。
そして怒ると、私自身が嫌な気分になってしまう。
それが嫌だ。

「ヤダアって言われたら、それは嫌だよね。
でもね、ヤダアヤダアって言ってるのは、今までのことが頭に残っていて、本人がとてもつらいからなんだよ。
だから、
『つらかったねえ、しんぼうしてねえ。ごめんねえ。』って言ってごらん、
おさまるよ。」

そうだよね。私には想像もつかないほど、障害のある長女はつらかったんだよね。それはよくわかる。

「これはテクニックなんだよ。
自分の気持ちが嫌な気持ちにならないための。
だから試してみてね。
そしてたくさんほめてあげてね。
『前より少し良くなったね』とか。なんでもほめてあげてね。」

先生の言葉を噛みしめて、酉の市の神社に行った。

今まで、講義では、
「認知症の人や、障害のある人には、たくさんほめてあげてくださいね。」って言ってたのは私だ。

「行動障害は氷山の一角で、水面下に原因が隠れているのです。」
「二次障害を起こさないように支援しましょう。」と言ってたのは私だ。

自分ばかりつらくて苦しくて、その原因は長女が障害者だからだと思っていたのは私だ。

なんだか自分が恥ずかしくなった。
何にもわかってなかったのは私だ。
長女は学校でも、職場でもつらいことをたくさんたくさん経験してきた。
わたしの経験などとは、比べ物にならないほどたくさん。
だけど、ひどいことをしてきた人達の誰一人として、「ごめんね」を言ってくれた人はいなかったんだ。
だから、私が言おうね。
「ごめんね。」

ぜんぜん、「IN HER SHOES」でなかった。
74歳になっても、まだまだな自分。
70代の悩める母親に、80代の先生がにこやかに穏やかに話しかけてくださった。穏やかな秋の日。

ありがとう。

さあ、こい。
ヤダアヤダアが来ても、もう大丈夫。
と思っていると、長女の「ヤダアヤダア。」の叫び声は起きない。
静かな週末。


In Her SHOES
カーティス・ハンソン監督。2005年アメリカ映画

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