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安楽死が合法の国で起こっていること

児玉真美さんはすごい。
重度障害の娘さんの母であり、海外の福祉や医療の状況を、極めて冷静に翻訳し続けている。
2020年に、重度障害者の老障介護の厳しい現実を書いた
「私たちはふつうに老いることができないー高齢化する障害者家族」の次、
2023年には、
「安楽死が合法の国で起こっていること」が出版された。

私は、普通に老いることができない障害者の母親で、76歳の今も、オールドケアラーをしている。
ヤングケアラーとか、ビジネスケアラーとかいう言葉が独り立ちして理解を得てきているが、「この国」はオールドケアラーに支えられている。
家族介護者も高齢、ヘルパーも高齢である。

家族にケアを任せる社会。
ケアは女性の仕事。
ケアはほかの職種より、一段低い仕事。
ケアは誰にでもできると誤解されているので、給料が安く、できたら家族が只働きしてくれると、行政も親せき縁者も助かる。
家族の中で、逃げられない立場の母親に押し付けて、母親を愛情深いと賛美しておけば、まあ、何とか、世界は回っていくだろう。

というような図式で、私たち障害者の母は、高齢になっても「老障介護」の仕組みから抜け出せないでいる。
しかし、こんな厳しい生活。誰が好きでやっているものか。
病気になれない。
怪我できない。
理解と経済力のある伴侶がいない家が多く、貧乏である。
障害者の母だというと、医療、教育関係者からは、一段低く見られる。
自分からは、つねに下手から話したり行動する。(その方が受け入れられやすい)

よくも、こんな状況で、51年間も死にもせず、「殺しもせず」やってきたものだ。
何回、死にたいと思ったことか。
何回、この子が先に死んでくれたらいいだろうと思ったことか。
そうしたら、普通の生活ができるのだろうか。

そんなというと、子離れできない母親と言われてしまうけど、私は、子どもに依存するのでなく、自分の生活をしたいと思う母親である。
そして、福祉政策に無知ではなく、できるところは利用して暮らしている。
しかし、利用するまでの手続きは、煩雑で時間がかかり、受けたいサービスが無かったり、人手が無かったりすることも多く、あきらめて、仕方がないから自分で行っている。
今は、障害者も自立生活ができる時代だとか、高齢者は介護保険に任せられるはずなんて、言う人もいるけど、現実は理想論とはかけ離れている。

そんな生活をしていると、「老障介護の果ての殺人」とか、「老老介護の果ての殺人」だとかのニュースを聞いても、
「そう思うことあるよなあ。責められないなあ。」と思ってしまう。
家族をそこまで追い込んで、家族に殺させてしまう社会。

生産性がないとか効率が悪いとか、とくに社会保障削減策から、障害者や高齢者を見る社会では、私たちは肩身が狭くなる。

小説や映画で、「ロストケア」「ドクターデス」「PULN75」が話題になるのは、ありそうなことだよなあという気持ちが、働くからなのではないだろうか。
実際「PLAN75」は、とある国では、もはや現実となっている。

児玉真美さんによると、安楽死が合法化されているのは、オランダ、ベルギー、カナダ、スイス、そしてアメリカのいくつかの州、合わせて22か所だそうだ。

苦しいなあ。終末期も、高齢者も、障害者も、難病の人も。
そして家族介護者も。
苦しい人たちは、今は見えない存在とされているけれども、それでも、声を上げていかないとねと思う。

苦しいっていうと、嫌がられるけど、けなげで頑張る障害者家族でないと、嫌がられるけど、声を上げにくい人たちの声を、聞き取っていくことができる世の中になったら、少しは生きるのがつらくなくなるのではないかなあ。

なんて、思いながらも、衰えてくる体力を、気力でおぎなう悲しい毎日を送っている。

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