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うけいれるには 


クララ・デュポン=モノ
松本百合子訳

フランスの山間の集落に暮らす、両親、長男、長女の家庭に、社会に適応できない「子ども」が生まれた。
医師は言う。
「お子さんは大きくなりますが、目は見えないままで、歩くことなく、話すことはなく、脳は必要な情報を伝達できないため、四肢は動きません。」
両親は苦痛の重圧に押さえつけられており、子どもたちは両親の疲れた顔を見ないようにしていた。

ところが長男に変化が訪れた。弟である子どもに愛情を注ぎ、世話をするようになった。
耳元で話しかけ、おむつを替え、食事をさせ、入浴させた。
子どもはひたすらそこにいるだけで、批判することもなく許しが本性だった。
子どもが死んだ後は、長男は人と親しくなることなく成長していった。

長女は、子どもが誕生してから恨んでいた。
子どもは、家庭を支配し、両親と兄からエネルギーを吸い取っていた。
子どもに嫌悪感を抱いたが、だれにも言わなかった。
恥ずかしいので、友達を家に呼べなかった。兄弟は兄だけだと嘘をついて、大荒れに荒れ狂った。
母方の祖母だけは理解者だった。

祖母が死に、草原の家の施設に入所して修道女の手厚い介護を受けていた子どもも死んだ。
葬儀の時長女は、子どものことを初めて私のかわいい弟と胸の中で呼んだ。

長男は町に出て経済学部で学び、長女はリスボンの大学へ通うようになる。
そんな時、四十代の母が、末っ子の男の子を出産した。
子どもの主治医だった医師は、三番めの子どもの時に言えなかったことがあったと言った。
「ほかの子たちと違う子どもを持つというのはとても困難な試練です。多くの夫婦が別れてしまうんですよ。」

悲劇の後に生まれた末っ子は、「子ども」の埋め合わせをするように、完璧な息子だった。
成長してからは、彼はひそかに謝っていた。
「普通に生まれてきてごめんなさい。兄さんは死んでしまったのに生きていてごめんなさい。」

長女が出産した。
末っ子は、長女に障害のある子が生まれてくるか心配ではなかったのかと聞くと、長女は答える。
「最悪の経験がおそれを遠ざけてくれた。どう反応し、どう行動するべきかもわかっている。恐怖って未知からくるのよ。」
長女は三人の娘の母となった。
長男と二番目の姪っ子が二人で、数独をしているのを末っ子と長女は見る。再生を成し遂げたのだ。

「傷ついた息子、反抗的な娘、適応できなかった子ども、そして魔法使い。みんなよく頑張ったわね。」母親がささやいた。

長い時間をかけて再生していく家族の物語だ。
胸が痛む出来事が続く物語の節目、節目で、「受け止める」という言葉が、何度か使われる。

事実を受け止める。
受けいれるまではいかないが、事実を受け止めることをする。
受けいれるには、本当に時間がかかる。
それまでにはたくさんのことを受け止める。
親も、子も、それぞれの生き方を模索しながら、社会に適応できない子どもを受けいれていく。

作者には重度の障害を持つ兄弟がいたそうだ。
この物語は、第一回、日本の学生が選ぶゴングール賞を受賞している。
フランスでは、高校生が選ぶゴングール賞を受賞している。

日本でも、フランスでも、若い人たちがこの物語を読んでいるということが、すごく嬉しい。

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