ギルバート・グレイプ
#1994年公開のおすすめ名作映画
監督 ラッセ・ハルストレム
原作 ピーター・ヘッジス
「アバ/ザ・ムービー」(1977)や、「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」(1985)を母国スウエーデンで撮った後、ハリウッドに招かれたラッセ・ハルストレム監督が、アメリカで、ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、ジュリエット・ルイスという、当時のそうそうたる若手俳優を起用して撮影した作品。
原作のピーター・ヘッジスは脚本家、映画監督となり、「アバウト・ア・ボーイ」「ベン・イズ・バック」などを手がけている。息子のルーカス・ヘッジスは若手俳優として活躍中。
そう。
忘れもしない。
1994年、私は新宿の映画館で、ギルバート・グレイプを見た。
ファーストシーン、夏至の朝、坂の向こうからやってきた銀色のトレーラーハウスの車体に、朝日が当たり、きらきらと反射して輝いた瞬間、私の目から、とめどなく涙が溢れだした。
まだ、ストーリーは始まっていないのに、そのファーストシーンだけで、私の心は奪われた。
ジョニー・デップ演じるギルバートは一家の大黒柱だ。7年前に父親が自殺して以来、過食症で肥満となった母親に代わり、きょうだいの面倒をみながら、町の食料品店で働いている。姉と妹、そして知的障害のある弟のアーニーの4人きょうだいだ。
今でいえば、ヤングケアラーである。
アーニーを演じるレオナルド・ディカプリオは、この作品でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。それぐらい、ディカプリオ演じるアーニーはかわいくて、汚れてて、聞き分けなくて、高いところには登るし、同じこと繰り返し言い続けるし、いるよな、こういう子、特別支援校に。と思わずにはいられないほどの名演技だった。
後に、WOWOWで放送された、「ギルバート・グレイブ」を見た長女が、ディカプリオを気にいって、町で彼のポスターが貼ってあるのを見たりすると大きな声で「バッタが死んじゃった。」と言うようになった。
アーニーは、バッタを捕まえては、アメリカンポストに挟んで、ふたを閉め、その都度「バッタが死んじゃった。」と言って泣くのだった。
アーニーは、生まれてすぐ、一週間も生きられないだろうと言われていたが、まもなく18歳の誕生日を迎える。
母親はアーニーを赤ん坊のようにかわいがり、(でも世話はしない)誕生日の準備のことをあれこれ、姉娘とギルバートに指図する。母親は、あまりにも肥満したので、ベッドにも行けず、夜も昼もソファに座ったきりで、動かない。もちろん料理をはじめとして家事は一切しない。
アーニーは在宅(通所などしていない、近くにないのかもしれない)で、ギルバートが、自分の職場に、朝連れていき、店で面倒を見ながら働き、夕方連れて帰る。夕食の食材を抱えて。
ちょっと目を離すと、アーニーは、町の高い給水塔に登ってしまう。その都度、はしご車だの警察だのが来て、アーニーを降ろそうとする。
その光景を町の人がみんなで見ている。ギルバートが、なんとかかんとか、アーニーを降ろすと、町の見物人から拍手が起こる。
刺激の少ない田舎町にとっては、なによりの娯楽(見世物)となっているのだろう。
さびれた田舎町で、閉塞した生活を送っているギルバートに変化が訪れる。それは、銀色のトレーラーハウスに乗ってきた、ベッキーとの出会いだ。ベッキーの祖母は、トレーラーを運転して、旅をしている格好いいおばあちゃんである。
ベッキーは、いろいろな土地に行き、とても自由で、柔軟な考え方をする素敵な女性だ。ベッキーの祖母のトレーラーが故障したので、部品が届く間、この町に滞在することになったのだ。
ギルバートはベッキーと話をしているうちに、自分の心が、あきらめと絶望に満たされていると気づく。ベッキーのする質問に、自分のことを答えられないのだ。田舎町から出たこともなく、自分というものがなく、家族のためにだけ生きてきた。
うつろで、悲しみに満ち溢れていて、自分の生活がままならず、どうしていいのかわからないという絶望的なまなざしのギルバートに、私は感情移入した。当時、私の置かれている状態と酷似していたから。
絶望のどん底だった。でも、どん底は、這い上がるチャンスでもある。
トレーラーの修理が終わって、ベッキーとおばあちゃんは旅立つことになった。
「また来年」と約束して。
毎年、近隣の町でトレーラーの大会が開かれるため、この町は、大会に参加するトレーラーの通り道になっているのだった。夏至の日の朝、アーニーを連れて、ギルバートは毎年、トレーラーの列を見学に来ていたのだ。
ある日、母親が死んだ。
いつもソファから動かなかった母親だが、自分のベッドで死んだ。ギルバートは破壊の行動に出る。
父親が建てた家の土台の柱を壊し、母親が死んだ家に火をつけた。
もう何もない。
破壊は、次のステップへの入り口だ。
そして、一年がたち、また、ベッキーがやってきた。
今度は、ギルバートとアーニーが、トレーラーに乗り込んだ。
おばあちゃんの運転するトレーラーが出発する。
「どこへいくの?」アーニーの質問にギルバートは答える。
「僕たちは、どこへでも行けるんだ。」
映画が上映されている間中、私は泣いていた。よくもこんなに涙が枯れないものだと思うくらい。こんなに泣いたのは、はじめてだった。
映画が終わり、明るくなっても涙は止まらず、泣き続けながら、急いで帰途についた。子どもたちが帰ってくるまでに家に戻らなくてはと急いだが、涙は止まらない。
駅のホームでもまだ泣いていた。泣いているところを、一番見られたくない人に見られた。でも泣いていた。
その数週間後、下高井戸で、「ギルバート・グレイプ」を見た。
その数週間後、立川で、「ギルバート・グレイプ」を見た。
でも、もう泣かなかった。きっと初めてこの映画を見た日に、私の涙はすべて出てしまったのだろう。
それ以来、映画を見て泣いたことはない。
現実の生活でも、泣いたことはない。
一回目の「ギルバート・グレイプ」で、私の涙はでつくした。
そして、私も言えるようになったのだ。
「どこまでいくの?」
「どこへでも行けるんだ。」
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