どうしてもどこかへ行ってしまう人
月に一度、研究審査倫理委員会外部委員をしている精神科の病院に出かける。
武蔵野の森公園を抜けて、調布飛行場を眺めながら、自転車をこいでいく。
その病院は、漫画家の吾妻ひでおさんが入院していたことがあり、「アル中病棟」に描かれている病院である。
吾妻ひでおさんの描写はリアルで、武蔵野崖線にある長くて高い階段、迷路のような病院の廊下など本当にそのまんまである。
吾妻ひでおさんといえば、「失踪日記」も有名である。
こちらは、ある日突然疾走してしまった、吾妻さんの疾走している時の日記である。
疾走期間に入院はしていないようなのだが、私は八王子の山の中の精神科病院で、吾妻ひでおさんの作品が展示されているのを見たことがある。
その病院は芸術活動をしている病院で、患者さんの作品がガラスケースにたくさん展示されていたのだ。
その中で、ずいぶん上手な絵があって、よくよく見たら、「吾妻ひでお作」と書いてあった。
はて、この病院に入院していたこともあったのかしらと、よくわからないまま、仕事を済ませて帰ってきた。
吾妻さんの失踪は、本を読んでみれば、そうか、なるほど、と思える節があるが、世の中には、ある日ふいっとどこかへ行ってしまう人がいる。
失踪とか遁走とか、いろいろ言い方はあるだろうが、私は、ずいぶんと前に「遁走」という言葉に助けられたことがある。
もう、今、ここにいるのも苦しい。生きているのが苦しい。すぐに消えてしまいたいというような思いで生きていたことがあった。
その時である。
「遁走」という方法で、この場を抜け出してしまうことだってできるのだ。
そう思ったら、私にはまだまだ、方法があるんだと思えてきて、気持ちが楽になったことがある。
たぶん、そう、もう少し、ぎりぎりに追い詰められていたら、私も遁走していたかもしれない。
山下清さんは、放浪の画家といわれ、日本各地を歩いている。
そして帰ってきてから、頭の中に記憶してきた景色を描いて作品としていた。
山下清さんは作品をたくさん残したから、有名であるが、世の中には、なぜか放浪してしまうという人が少なからずいる。
それは、定住できないというのか、今でいえば、ノマドの暮らしとでもいえばいいのか。
それとも、発達障害の特性の一つといえばいいのか。
よく説明はできないけど、「どこかへ行ってしまう人」はいる。
高齢になって、介護保険の認定調査を依頼されて、お会いした人たちの中にも確かにそういう人たちはいて、ご自分でもはっきり説明はできないようなのだ。
わかることといえば、今はここにいるということだけ。
ある病院でお会いした方は、癌で入院していた。
担当のケースワーカーの男性は、ご自身も癌の経験者で、生活援護課の嘱託として働いていた方だ。
役所あるあるで、社会福祉士とか、介護支援専門員とか専門職のワーカーは非正規職員が多い。
とても、面倒見のいいケースワーカーさんで、とにかく治療が必要だと入院先を探して、この先専門的な治療が必要になった場合のことも考えていた。
ところが、患者さん本人が病院から姿をくらましてどこかへ行ってしまった。
いままでも、アパートを探して入居までお世話しても、どこかへ行ってしまったこともあれば、ふいっと帰ってきたこともあるそうだ。
とにかくひとっところにじっとしていられない人なのだ
しかし、今回ばかりは、ケースワーカーさんは困ってしまった。
癌なのだ。治療しないと。
しかし、ご本人は、自分が病気であっても、どこかへ行ってしまうのだ。
結局、しばらくして、やつれた姿でアパートへ戻ってきたようだが、病気は進行していて、しばらくしてお亡くなりになったそうだ。
このような、どこかへ行ってしまう人にとって、私たちがしていたことはおせっかいだったのだろうか。