ローナ・ウィング :スペクトラムのこと
昨日は、長女の通院日だった。
ひと月に一度、神経内科を受診している。
もともとは、てんかん、知的障害がメインで受診していたが、最近は、躁病が主な課題となっている。
いかに躁転しないで、穏やかな暮らしができるか。
もし、躁状態になったら、いかに、落ち着かせていくか。
服薬治療がポイントである。
しかし、長女の知的障害と自閉スぺクトラム症は、一生ものだ。
クリニックの待合室にいると、さまざまな人たちに出会う。
てんかんの発作はあるが、知的障害や自閉スペクトラム症でない人は、ごくごく普通にスマホを見たりしている。
自閉スペクトラム症の少年が、大きな声を出したり、動き回ったりしても、神経内科の待合室では、あたりまえで、よくあることだから、誰も何にも言わない。いつものことだから。
少年は採血が大変だったようで、両親に両側から支えられて、(見ようによっては抑えられて)処置室から出てきた。
わあわあ言っていたけど、何事もなく、父親に連れられて帰っていった。
会計を待つのは母親一人。
こういう連携プレーも、よくある光景だ。神経内科では。
高齢の男性が、杖を突いて、ゆっくりゆっくり、診察券を出している。
赤いハイヒールの男性が、会計をしている。
ヘルパーさんの付き添いで、知的障害、自閉スペクトラム症の青年がふたり、静かに順番を待っている。
たぶん、グループホームの人たちだろう。
この世界、50年の私は、ある程度は障害の見立てができる。
そしていつも思うのだ。
障害はスペクトラム、つまり、連続体なのだと。
どこからどこまでが障害という、区別はないのだと。
普通の外見の人。
ヘルパーさんの付き添いで、静かに座っている青年。
うちの長女。
大声を出して、動き回り、両親に両側から抱えられて採血した少年。
足を引きずり、ゆっくり、ゆっくりの動作の高齢の男性。
ずーっとしゃべくっている、うるさい女性。
高齢の母親に車イスを押してもらって、たばこを吸いに行く顔色の悪い女性。
神経内科には本当にいろいろな人がいる。
見ていてあきない。
それぞれの人に、それぞれの生活があり、それぞれの物語があるのだと思うと、図書館にいるよりも、頭の中が活発になってくる。
このクリニックは、てんかん専門医のいるクリニックなので、ここに来ている人々の共通項はひとつ、てんかんである。
発作が今もあるか、今はおさまっているか、そこはそれぞれだが、定期的に脳波検査をして、服薬して、毎日の生活に気をつけて生活している。
ただ、つねに、自分の「脳」を意識して、ハラハラしながら暮らしている。
自閉スペクトラム症や知的障害の人は、てんかんを併発している人が多い。
長女が頻繁に発作を起こしていたころ、私は、
「せめて、てんかんの発作が無くなって、普通の知的障害だけになってほしい。」と願っていた。
普通の知的障害って、いったい何?
そしてだんだんわかってきた。
障害は、連続体(スペクトラム)なのだと。
言葉も出ない、起き上がることもできない、いわゆる重度障害の人から、見た目何ともなくて、歩くことができ、話すことができるが、障害の特性を持った人まで、そして、障害の特性はないが、なんとなくこだわりがあるような人まで、ずーとつながって連続していて、どこで、境界線を引くかは難しい。
まあ、支援のために一応、等級とか、区分とかは、調査を基にしてつけているけど、みんな、同じ土俵に乗っている存在なんだと。
これを気づかせてくれた人。
それが、ローナ・ウィングだ。
成人した自閉スペクトラム症の娘の母であり、精神科医。
彼女が登場するまで、自閉スペクトラム症は、カナー博士が述べた、カナー型の重度の自閉症だけが自閉症で、それも、母親の養育が原因であるとの説が横行して、母親たちを苦しめていた。
しかし、ローナ・ウィングは、アスペルガー博士の論文を発掘し、言葉を話せる自閉症の存在を発表した。
いわゆる、アスペルガー症候群である。
今は、アスペルガー症候群は自閉スペクトラム症の一つとして認識されている。
だから、現在の自閉スペクトラム症は、言葉の出ない重度自閉スペクトラム症から、言葉を話せるが自閉スペクトラム症の特性のある人までということになる。ずーっとつながっているのが連続体である。
アスペルガー症候群が、注目されたころ、もしかして自分もアスペルガーなのではないかと思った成人が、診察を希望して、「予約半年待ち」などの状態が続いた。
それから、アスペルガー症候群の人が犯罪を起こす例がいくつかあったため、アスペルガー=犯罪者というイメージが先行したりした。
そうこうするうち、アスペルガー博士が、ナチスに加担していたという事実が公表され、アスペルガーの呼び方は急速に減っていった。
韓国ドラマ「ムーブ・トウ・ヘブン 私は遺品整理士です」の主人公は、アスペルガー症候群である設定だが、その後に制作された「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」の主人公、こちらは自閉スペクトラム症との設定である。
1943年にアメリカのレオ・カナーが「早期乳幼児自閉症」と名付け、
1944年に、ハンス・アスペルガーがアスペルガー症候群の論文を発表し、(この論文は世に出ることなく、ローナ・ウィングが、1980年代に公表するまで日の目を見ることがなかった。)
1968年に、「小児自閉症」の本が日本で発売され、
1980年代に、アスペルガー症候群が注目され、
2013年に、DSMⅤ(精神疾患の診断と統計マニュアル)で、自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害などは、自閉スペクトラム症としてまとめて表現されるようになった。
私は、1968年は心理学専攻の学生であり、2013年は、臨床心理大学院の修了生であった。
私のライフワークである、自閉スぺクトラム症。
これから先も、多様なトピックが出てきて、驚かされるかもしれない。
障害者ってどのような人ですか?という質問を受けることがあるが、私だって一言では言えない。
いろいろな人がいて、いろいろな生活をしている。
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