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子規の病なかりせば

私は俳句が作れないし、鑑賞力もないが、子規の35年の生涯、特に寝たきりとなった病床の数年に強く惹かれる。
夏目漱石がいなくても、夏目漱石らしき作家は現れ、小説が衰退することもなかったと思うが、正岡子規がいなかったら、俳句が現在のような力、広がりを持っていただろうかと思う。
一部の愛好家の世界にとどまっていたのではないか。

子規が肺結核に侵されず長生きして、脊椎カリエスに侵されず自由に吟行でき、天寿を全うしたならば、子規の俳句は全く違う美しい世界を見せたであろう。
しかし、私が惹かれるのは、病床の子規、苦痛の子規、罵倒する子規、泣き叫ぶ子規、頑固な子規、熱中する子規、負けずぎらいの子規、動けない子規、小さく狭い世界を見通し広げる子規である。

洋行し、自分の望みを実現していく友。もう再会は望めないと、送りだす病床の子規の寂しさ、負けん気の心情、焦りはいかばかりか。

泣き叫び、介護するものを罵倒するほどの苦痛、痛みがなかったら、「萩が三寸になったら少しは心よくなるべきかと楽しみ」とは思わないであろう。

美しい俳句の後ろに、苦痛の絶叫があると考えると、ことさら美しい。

小庇(こひさし)にかくれて月の見えざるを一目を見んとゐざれど見えず

という子規の歌がある。隣で母、妹は寝静まっている。ぼんやした月明かりが見えるが、月が隠れてみえない。下半身が効かない子規は、いざっていく。動くと痛い、しかし月がみたい。力の限りいざっても、結局月は見ることができなかった。
私は、この景色が切なくてたまらない。
脊椎カリエスでなかったら、二、三歩けば済むことである。

妹、律の介護も子規を支える。
自らは台所の隅で菜っ葉で済ませ、大喰らいの子規の食事を作る。大量であった思われる排便の始末、背中に大きな瘻孔を作って流れ出す悪臭の膿の処置は毎日欠かせない。痛みのために律を罵倒する子規。
律は当然のこととして毎日同じ生活をしていく。

碧梧桐一家の土筆とりに律も行けるようになったとき子規は「予まで嬉しい心持がした」といい、母八重が碧梧桐一家と花見に行ったときは「夕刻には恙なく帰られたので嬉しくてたまらなかった」とある。
家族がいなければ、一日も永らえることができない子規。面倒をかけ、かけられながら貧しく生活していく家族。

子規に肺結核、脊椎カリエスをあたえ、寿命を限ったのも、律という介護者を添わせたのも、天の采配に思えてくる。
子規は拷問ともいえる、病床の数年を恨んでいただろうか。
仕事を完うできない無念さを嘆いたであろうか。
与えられた苦行の病床で這いつくばって最期まで俳句をつくり続けた子規。

子規の死に「もういっぺん痛いと言うておみ」と言う八重の言葉も切ない。生きることは痛いことなのだ。


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