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〇エルヴィスに著作権を渡さなかったドリー・パートンの慧眼~「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」を巡る運命的なストーリー
〇エルヴィスに著作権を渡さなかったドリー・パートンの慧眼~「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」を巡る運命的なストーリー
【Dolly Parton Never Give Half Of Copyright Of “I Will Always Love You”】
慧眼。
ドリー・パートン 朝方寝起きでちらっと読んで、なかなか感動したのですぐにリツイートしたドリー・パートンのエピソード。
元のツイートはこちら
Mohamad Safa @mhdksafa の2023年8月1日のツイート
“Country singer Dolly Parton wrote the songs "I Will Always Love You" and "Jolene" on the same night.
— Mohamad Safa (@mhdksafa) July 31, 2023
When the first song was at the top of the charts in 1974, Elvis wanted to record his own version of the song. Dolly was interested until Colonel Tom Parker, Elvis' manager, said… pic.twitter.com/9XIkIF1cMz
簡単にまとめる。彼女が書いてヒットさせた「I Will Always Love You」を1974年エルヴィス・プレスリーが気に入って録音したいと言ってきた。そのとき、エルヴィスのマネージャー、パーカー大佐が「エルヴィスが歌うので著作権の半分よこせ」と要求。ドリーは自分の「勘」で泣く泣くそれを拒否。結果エルヴィスは歌わなかった。
それから18年後1992年ホイットニーがカヴァーし、未曽有の大ヒットに。ドリーの元に莫大な印税が。もし、半分の著作権を渡していたら、当然その収入も半分に。
その膨大な印税から彼女は地元の教育をまともに受けられない貧困層の人たちを支援。「バディー・プログラム Buddy Program(お友達プログラム)」をスタート。これは地元高校を卒業した全員にある程度の現金を支給。ドリーは若い生徒たちに友情と手助けをすることを教えた。
それまで30%以上の高校中退率がこの支援で6%になり現在までその数字を維持。まさにその現金がいい方向に役立った。
また2016年テキサス大火で家を失った900世帯全部に5か月毎月1000ドル支給、加えてその5か月の支払いが終わったときに、さらに5000ドル支給。ドリーはトータルで約900万ドル(約13億円)を拠出した。
1995年「イマジネーション図書(想像図書)」開始。これは田舎の貧困家庭に子供誕生から学校入学まで毎月1冊の本を寄付するというプログラム。これは、当初ドリーの故郷だけで始まったが現在全米全世界各地に広がりを見せ、2018年までに1億冊の本が寄付されたという。
彼女はデビュー直後いろいろ言われたがユーモアを交えて返す。「私は『バカなブロンド』と言われても気にしない。なぜなら私は『バカ』ではないから、それに『ブロンド』でもないんで」
賢いお金の使い方。無駄使いするだけの日本の官僚、政治家たちに彼女の爪の垢を煎じて飲ませたい
それにしても、1974年パーカー大佐に権利を半分あげなくて、本当によかった。あげていたら、ドリーの取り分も半分になっちゃって、こんな支援できなかったかもしれない。彼女の「勘」はすごかった。ただし、その時の判断が正しいかどうかなんて誰にも20年経たないとわからないってことですね。結果論とも言えるが、いい結果論だった。
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第二候補。
『ボディガード』に使われた「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラヴ・ユー」は、映画で使われる当初のテーマ予定曲ではなかった。
当初は、ソウル・シンガー、ジミー・ラッフィンが歌って1966年にヒットさせていた「What Becomes The Brokenhearted」という曲が候補になっていた。(直訳は失恋を作るもの、失恋の要因、何で失恋になるか) ところが、この曲を、ホイットニーが録音するかしないかというときに、イギリスのポール・ヤングが一足先にカヴァーし、イギリスを中心に再ヒットさせてしまった。そこで、ちょっとリメイクの再リメイクでは、それを真似たと思われるということもあり、別の曲にすることになり、このドリー・パートンの曲が候補となり、これが正式なテーマとなった。
ドリーは、これをホイットニーが歌うということになり、オリジナルのドリーのヴァージョンの後半の数小節を新たに書き足したという。
また、正確に歌詞を追ってみると、ホイットニーは、ドリーがBut I will always love you としているところを And I will always love you としたり、カーク・ウェイラムのサックス・ソロをいれたりもしている。カークはこれを「自分を有名にしてくれたもっとも知られるサックスソロ」と評する。
そして、転調からの「ビッグ・ソング」への展開は、まさにデイヴィッド・フォスターならではの、大アレンジの勝利と言えるだろう。
この曲をめぐっては、ドリー・パートンが、何かの勘で、強欲なパーカー大佐からの要請でエルヴィスに著作権を半分与えなかったこと、また、ポール・ヤングが一足先に、What Becomes The Broken Hearted を録音しヒットさせていたことが大きな要因となって、ホイットニーが歌うことになり、未曽有の大ヒットになったわけだから、楽曲を巡る運命の分かれ道は2度あったことになる。
Jimmy Ruffin
Paul Young
尚、エルヴィスとドリーは、その後、テレビ番組で一緒にこの曲をうたっているようだ。
これはひょっとして死後のゴースト・デュエットなのか?
さまざまな紆余曲折を経て、ホイットニーが歌ったからこそ、大ヒットし莫大な印税が発生し、それを手にしたドリー・パートンが地元の人たちにさまざまな寄付、貢献ができたのだから、おもしろい。
そして、今日、2023年8月9日は、彼女が生きていれば60才(還暦)の誕生日でもある。
ディーヴァ ホイットニーヒューストン物語 ペーパーバック – 1998/12/10
ジェフリー ボウマン・著 吉岡正晴・訳
ENT>GREAT SONG STORY>I Will Always Love You
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