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◎JFN番組『アイ・ガット・リズム~音楽が生まれる時』~ビル・ウィザースの世界、6月5回放送、初回放送開始


◎JFN番組『アイ・ガット・リズム~音楽が生まれる時』~ビル・ウィザースの世界、6月5回放送、初回放送開始

【”I Got Rhythm” Radio Program In June Focus On Bill Withers】

5週。

JFN系列24局で放送されているFM音楽番組『アイ・ガット・リズム~音楽が生まれる時』では、2020年6月に同年3月末に亡くなったビル・ウィザースの特集をしている。今回は放送基準となる月曜日が5回あるため、5回放送される。その初回分がいくつかの局で放送が開始された。

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タイミングよくアメリカ・ワシントンDCのホワイトハウス近くに集まった人たちが、白人警官デレク・シャーヴィンに殺された無抵抗の黒人の一般市民ジョージ・フロイドさんの事件に平和的に抗議する意味で、ビル・ウィザースの「リーン・オン・ミー」が歌われるシーンがSNSなどで拡散されています。

こちら→


https://twitter.com/i/events/1268358080716140544

当方のツイッターでもこれを紹介したところ、12万以上のインプレッション、900以上のリツイート/お気に入りなど大きな反応がでたもの。

この映像などを見ると、いかに「リーン・オン・ミー」がアメリカの人たちの心に根付いているか、スタンダード化しているかよくわかります。一般のひとたちが普通に一緒に歌っています。「お互い、僕に/わたしに頼っていいんだよ」という相互扶助ソングです。

これを作ったのがビル・ウィザースで、その誕生秘話なども番組内、『ビル・ウィザース物語』内で解説しています。

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この番組と連動して「ソウル・サーチン・ブログ/ノート」で詳細な『ビル・ウィザース物語~炭鉱の街からハリウッド・ヒルまで』を掲載。番組の中で語りきれなかったエピソードなどを詳細に紹介しています。

2回にわけて掲載したノートはこちら。(全部で約4万字超)

パート1(2020年6月3日付け)



https://note.com/ebs/n/nfada9bf816d2

パート2 (2020年6月4日付け)


https://note.com/ebs/n/n6fcea949dbcd

『アイ・ガット・リズム I Got Rhythm』(基本25分or30分x5回)は6月2日FM新潟を皮切りに全国24局のFM局で放送されます。放送日・日時など一覧にまとめました。

番組ホームページ『I Got Rhythm 音楽が生まれる時』(#62~#66)


https://park.gsj.mobi/program/show/43952

ラジオ番組は、いずれもラジコ(ラジオのインターネット配信サーヴィス。パソコン、スマートホンなどで聴取ができる)のタイムフリー、エリアフリー(有料)で全国どこからでも聴取可能です。

ラジコ


http://radiko.jp/
(エリアフリーなどの契約もこちらでできます。月額350円+税で全国の地上波FM局が聴取可能になります)

またこのほか、ウィズ・レイディオというアプリを使うと全国の主なFM局(JFN系)の番組を無料で聴けます。これでも聴取可です。ウィズ・レイディオについてはこちらからどうぞ。

https://www.wizradio.jp/

6月5日から7日の週末に各地域で初回がオンエアされます。

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ちなみに、すでに放送されたFM新潟(6月2日11時半~)、FM熊本、FMぐんまのものは、エリアフリー、タイムフリーですでに聴取可能です。契約者の方は、こちらで聴取可です。

FM新潟


http://radiko.jp/#!/ts/FMNIIGATA/20200602113000

FMK(FM熊本)


http://radiko.jp/#!/ts/FMK/20200605113000

FMぐんま


http://radiko.jp/#!/ts/FMGUNMA/20200605113000

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皆様お住まいの各地のFM局をお探しの上、お聞きいただければ幸いです。また、お住まいの地域に放送される局がなくてもいずれもラジコのエリアフリー、タイムフリー(お住まいの地区以外のFMを聴くにはラジコの会員になる必要があります)のサーヴィスで聴取可能です。

放送日時、各放送局は次の通りです。いずれも2020年。例えば6/7は6月7日。放送日の早い順に並べました。番組名は『I Got Rhythm 音楽が生まれる時』。なお25分番組として放送する局と30分番組として放送する局があります。できれば、30分番組をお聞きいただけると幸いです。30分局に★をつけました。お住まいの地区の放送局があればそちらでお聞きください。

【2020年6月2日火曜・初回放送(特記ない限り基本は以降同曜日同時間に放送】

FM新潟 11:30~11:55(火)6/2~再放送6/6(土)21:30~55
https://www.fmniigata.com/
(以降毎週火曜午前11時30分~、再放送毎週土曜21時30分~)

【2020年6月5日金曜・初回放送】

福島エフエム 6/5、6/12、6/19、6/26、7/3 11:30~11:55(金)
https://www.fmf.co.jp/pc2/
FM群馬 6/5、6/12、6/19、6/26、7/3 11:30~11:55(金)
https://www.fmgunma.com/fmg863/
FM熊本 6/5、6/12、6/19、6/26、7/3 11:30~11:55(金)※6/5~
https://fmk.fm/

【2020年6月6日土曜・初回放送】

★FM長野 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 5:00~5:30(土)
http://www.fmnagano.co.jp/
★FM大分 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 7:30~8:00(土)
http://www.fmoita.co.jp/
FM山口 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 11:30~11:55(土)
http://www.fmy.co.jp/
FM佐賀 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 11:30~11:55(土)
http://www.fmsaga.co.jp/
★FM福井 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 12:25~12:55(土)
https://www.fmfukui.jp/docs/
FM高知 (Hisix) 6/6 12:30~12:55(土)※第1週のみ
   6/25 20:30~20:55(木)最終週のみ?
http://www.fmkochi.com/
FM広島 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 18:30~18:55(土)
http://hfm.jp/
仙台 Date FM 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 18:30~18:55(土)
http://771.fm/smp/
★FM長崎 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 20:00~20:30(土)
https://www.fmnagasaki.co.jp/
★FM香川 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 20:25~20:55(土)
https://www.fmkagawa.co.jp/
★FM宮崎(JOY FM) 6/6、6/13、6/20、6/27、7/4 27:30~28:00(土)
http://www.joyfm.co.jp/

【2020年6月7日日曜・初回放送】

★FM徳島 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 6:00~6:30(日)
https://fm807.jp/
★FM岩手 6/7、6/21、7/5 8:00~8:30(日)※第1、3、5週 のみ放送
http://www.fmii.co.jp/
★FM石川 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 8:00~8:30(日)
https://hellofive.jp/
★FM山形 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 9:00~9:30(日)
http://www.rfm.co.jp/
FM鹿児島 6/7、6/21 9:30~9:55(日)※第1、3週のみ放送
https://www.myufm.jp/
三重(レディオ・キューブ) 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 18:30~18:55(日)
http://fmmie.jp/
★栃木 Radio Berry 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 19:00~19:30(日)
http://www.berry.co.jp/
★FM山陰 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 24:00~24:30(日)
http://www.fm-sanin.co.jp/
★FM大阪 6/7、6/14、6/21、6/28、7/5 27:30~28:00(日)
http://www.fmosaka.net/

全24局ネット。各局のエリアフリー、タイムフリーで何度でも聴取可能です。


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■5回のテーマ

ここでは、その5回のテーマなどを簡単に紹介しましょう。

1回 ビル・ウィザース『炭鉱の街、スラブ・フォークに生まれて』(6月2日、6月5日~7日放送)(番組通算第62回)
2回 ビル・ウィザース『遅咲きの新人、ブレイクへ』(6月9日、6月12日~14日放送)
3回 ビル・ウィザース『ソングライターとしての匠』(6月16日、6月19日~21日放送)
4回 ビル・ウィザース『客演で光り輝くパフォーマンス』(6月23日、6月26日~28日放送)
5回 ビル・ウィザース『頑固一徹:音楽業界への決別』(6月30日、7月3日~5日放送)

1回目は、主としてビル・ウィザースの簡単なキャリア、出生からデビューまで。
2回目は、「エイント・ノー・サンシャイン」以降、ヒットを連発しブレイクしていく様子を。
3回目は、ビル・ウィザースのソングライターとしての魅力にフォーカスして。
4回目は、ビルが客演した作品のいくつかを。
5回目は、レコード会社と対立し、契約終了とともに音楽業界自体を引退するあたりを描きます。

DVD スクショ ビル・ウィザース スラブフォーク看板 jpeg

いちおう各回単体として独立し、いわゆる「一話完結」方式になっています。

セットリスト(かけた曲リスト)は、全回終了後、BGMも含めてお知らせします。

第一回(通算62回)『炭鉱の街、スラブ・フォークに生まれて』でかけた曲、お話した内容がほぼすべてこちらの番組ホームページに掲載されています。

#62 『I got rhythm 音楽が生まれる時』 概要と選曲リスト
2020/6/5 (金)16:30


https://park.gsj.mobi/news/show/67193


今月のテーマ:「ビル・ウィザースの世界」
(第1回:炭鉱の街、スラブ・フォークに生まれて)
パーソナリティ:吉岡正晴(音楽ジャーナリスト)

<番組のトーク・パート(概要)と選曲リスト>

 今月は、「ビル・ウィザースの世界」と題して、このコロナ禍でも強力なメッセージを放つ「リーン・オン・ミー」の原作者であり、今年3月30日に、81歳で逝去した、ビル・ウィザースの音楽に焦点を当てていきます。

― ビル・ウィザースは、日本では、1981年に大ヒットした、グローヴァー・ワシントン・ジュニアの『Just the Two of Us(邦題:クリスタルの恋人たち)』という曲でよく知られています。他に、最近のコロナ禍で、人々の結束をたかめようというポジティヴなメッセージをもった曲として、アメリカのラジオでは彼の「リーン・オン。ミー」という曲がよくかかっています。
 そんなビル・ウィザースが2020年3月30日、ロスアンジェルスで心臓発作のために、81歳で亡くなってしまいました。今日は、そのビル・ウィザースの人となり、ヒット曲やルーツなどをご紹介します。

― さて、ビル・ウィザースというと、ブラック・シンガーですが、当時ブラックのアーティストにしてはとても珍しく、アコースティック・ギターを弾きながら歌う、ユニークなスタイルをとっていました。
 また、彼のデビューは30歳を超えてからで、ハイスクール卒業後は、海軍で9年も仕事をしていました。彼は1971年に「エイント・ノー・サンシャイン」が初ヒットとなって、一躍全米の音楽シーンに躍り出るのですが、まず、その経歴を簡単にご紹介しましょう。

― 彼は1938年、7月4日に、アメリカ東部のノース・キャロライナ州、スラブ・フォークという炭鉱で知られる小さな田舎街に、6人兄弟の6番目として生まれます。ただ、上の4人は父が違い、すぐ上の兄と自分だけが、母親にとって二番目の夫との間に生まれた子供でした。父は炭鉱夫として働き、彼に自分の名前をつけました。ウィリアム・ハリソン・ウィザース・ジュニアです。ウィリアムの愛称がビルなので、まもなく彼はビル・ウィザース・ジュニアと呼ばれるようになります。

M1「Lean On Me」/ Bill Withers
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとヴァージョンが異なる場合があります。

 1972年に全米1位を記録したナンバー。ビル・ウィザースが育ったスラブ・フォークは、誰かのうちでミルクが足りなければ、ミルクを貸してくれたり、塩がなければ塩を貸してくれる、そんな、助け合って生きていく・お互いさまの街でした。そんな故郷を思い浮かべて描いたのが、この曲です。

― ビルは子どもの頃、毎週日曜におばあちゃんに地元の教会に連れていかれ、そこで歌われるゴスペルに親しんだり、ラジオから流れてくるブルーズやカントリーに触れていました。スラブ・フォークという街は、人々はほぼ全員が炭鉱で働くような街で、人種隔離が厳しく、街は一本の線路でビルの住むこちら側は黒人街、線路の向こう側は白人街と分けられていました。ただ、ビルは線路の近くに住んでいたので、比較的白人の知り合いのうちにも遊びに行くようになっていました。
 このころ、ビル少年は「吃音」に悩んでいました。人前に出るとどうしても言葉が途切れ途切れになってしまい、緊張すると声が出なくなってしまいます。しかも、彼は喘息持ちでもあり、あるとき、彼は「お前は、黒人で、吃音で、喘息もち、だからどうにもならないぞ」とひどい声を掛けられ、希望を失いそうになります。
 その炭鉱の町にいても何も自分の将来はないと考え、彼は一大決心をして、1957年にアメリカ・ネイヴィー(海軍)に入り、約9年間在籍します。海軍の生活は、規則正しく、規律も厳しいものでした。
 ネイヴィーを辞めた後、ニューヨークの友人を訪ねます。このときが初めてのニューヨーク。初めての大都会でした。そして、その後新たなキャリアを求めて西海岸、カリフォルニアに向かいます。1966年のこと、彼が28歳のときでした。
カリフォルニアではいろいろな仕事をします。その中でおもしろかったのが、ジャンボジェット機製造の下請けのような会社で、ジャンボ機のトイレを取り付ける仕事をけっこう長い間やっていたということです。ビルは、「誰よりもジャンボジェットのトイレについては詳しいぞ」とジョークを飛ばします。

― ビルがシンガーになろうと思ったきっかけは、近くのライヴハウスに、当時人気だったルー・ロウルズのライヴを見に行ったときのことです。そこの店の支配人が、ルーはいつも遅刻してくると愚痴を言っていました。それだけでなく、そんな遅刻常習のルーのギャラが1週間で2000ドルにもなると聞いて大変びっくりするのです。その頃、ビルはせいぜい、時給3ドル(当時のレートで1000円)一日24ドルとして一週間働いても120ドル程度しか稼げないのに、ルーは遅刻しても週2000ドル、それに女性にもとてもモテるようなので、それならそっちのほうがいい、と思ったわけです。
 そこでビルは、自分でデモテープを録音し、それをいくつかのレコード会社に売り込みました。すると、ある一社から引き合いがきて、とりあえずシングル盤を録音する機会を得ます。そうして出たのが、この曲でした。

M2「Three Nights And A Morning」/ Bill Withers
 このローカル・インディから出たシングル盤はまったくヒットせず、ビルはまたジャンボのトイレを取り付ける仕事に戻ります。それでも、週末の自由な時間には曲や歌詞を書いたり、デモテープを作り、音楽業界関係者にそのテープを渡していました。

― そんな一本が、当時レコード会社を始めたばかりの黒人起業家、クラレンス・エイヴォントに届きます。彼はデモテープを聴いて気に入ってくれ、「アルバム1枚分の曲はあるかな」と尋ねました。ビルは、「もちろん、あるよ」と答え、無事契約することに。1970年5月、ビルは31歳でした。
 クラレンスは旧知のプロデューサー、ブッカーTに連絡し、ブッカーTにプロデュースを依頼します。ブッカーTはスタックス・レコードで活躍し、一足先に「グリーン・オニオン」などの大ヒットを放っているプロデューサー、ソングライター、オルガン奏者です。
 ブッカーTは、MGズの仲間ドナルド・ダック・ダン、アル・ジャクソンらをあつめました。メンフィスのソウル・ミュージックのかなめのメンバーです。ただこのとき、ギターのスティーヴ・クロッパーだけがスケジュールがあわず、参加できませんでした。その代わり、ブッカーTが声をかけたのが、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの一人、スティーブン・スティルズでした。

 レコーディングは1970年の秋から、3時間のレコーディング・セッションが4回予定されました。わずか12時間で、アルバム1枚を作ろうという計画です。そのときレコーディングされた曲の中から、最初のシングル盤のA面に選ばれたのが、「ハーレム」という曲です。

M3「Harlem」/ Bill Withers
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとヴァージョンが異なる場合があります。

 ビル・ウィザースの最初のシングル盤となった「ハーレム」。実は、さきほどご紹介した「スリー・ナイツ&ア・ナイト」と実は同じ曲で、タイトルが「ハーレム」に変わり、テンポが少し遅くなり、演奏しているミュージシャンが変わったので、少し洗練された音になりました。
 ビルがニューヨークハーレムに行ったときのことを歌にしたものですが、木曜の夜、金曜の夜、土曜の夜、そして、一晩中遊び明かして、日曜の朝、(スリー・ナイツとモーニング)というわけです。

― ところが、シングルが出ても、この「ハーレム」はなかなかヒットしません。このまま埋もれてしまいそうでした。しかし、しばらくしてからDJたちがこのシングル盤のB面に収められていた曲をかけ始めたのです。それは、ビルが映画『酒とバラの日々』をテレビで見ているときに思いついて書いた曲でした。
 その映画は、ジャック・レモンとリー・メリックが、二人ともアルコール中毒という夫妻を演じている映画で、この二人のうち、奥さんがどうしても酒を辞められず、もんもんと夫婦で葛藤する様を描いています。これを見て、ビルは「彼女がいなくなったら、もう太陽なんてないも同然だ」というフレーズを思い付き、それを曲に落とし込みます。こうして生まれたのが、「エイント・ノー・サンシャイン」です。

M4「Ain’t No Sunshine」/ Bill Withers
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとヴァージョンが異なる場合があります。

 1971年、ビル・ウィザースの初めての大ヒットとなった曲です。ビルはこの曲で、グラミー賞ベスト・R&Bソング部門を獲得し、一躍スターになり、その後コンスタントにヒットを放つようになります。

― では最後に、ビルの代表曲「リーン・オン・ミー」の、アカペラ・グループ、パースエージョンズのカヴァー・ヴァージョンをお送りします。

M5「Lean On Me」/ The Persuasions
<Spotifyリンク>※ラジオでOAしたものとヴァージョンが異なる場合があります。


ビル・ウィザースについて興味を持たれましたら、ぜひこちらもお読みください!

■『ビル・ウィザース物語』
吉岡正晴さんが、ビル・ウィザースについて、番組で語り切れなかったお話なども詳しく書いてあります。
○ソウル・サーチン・ブログは⇒ https://ameblo.jp/soulsearchin/
○ノートは⇒
https://note.com/ebs

パート1 
https://note.com/ebs/n/nfada9bf816d2
パート2
 https://note.com/ebs/n/n6fcea949dbcd

さらに番組でかかった曲をまとめたスポティファイのプレイリストも制作。まず、一週目にかかった3曲が掲載され、聴くことができます。

https://open.spotify.com/playlist/7C82K8fM2W6QiTkZPoHmv6?si=7bVrkjNwSu6ntSfS7zheyg

これは、2週目以降増えていきます。

お楽しみに。

ENT>RADIO>JFN>I GOT RHYTHM>Withers, Bill
ENT>ARTISTS>Withers, Bill


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