『「たま」という船に乗っていた』ランニングの石川さんの音楽生活航海記。
・はじめに
『「たま」という船に乗っていた』が完結した(連載の完結は5/31)。
さよなら人類編・らんちう編という上下2巻にみっしりと詰められた、いっとき時代の寵児となったバンド「たま」の始まりから終わりを残して。
あの時代、「イカ天」という番組に熱狂し、「たま」という個性のかたまりの出現に驚き、ある種サブカルチャーと呼ばれたものの代表として「たま」をTVの前で応援していた人間には素晴らしいごちそうである一冊だ。
・あらすじ
幼少期に詩に出会い、演劇部で歌とステージの楽しさに目覚めて自作曲のギター弾き語りをはじめた石川浩司。東京のポロアパートで浪人生活を始めた彼は飛び込みでタダで歌える店(店?)に行き、弾き語る日々を送る。
そんなところで音楽仲間を増やし、食い扶持をバイトでしのぎ、歌やパフォーマンスを楽しんでいた時にどかんと現れた知久寿明、その後に知久が知り合った柳原陽一郎との三人でバンド「かき揚げ丼」を結成した。途中でもちろん大切なスネアドラムとの出会いもあった。
なんだかんだで「たま」にリネーム、音楽性向上のためベースを募ったらやってきた以前からの知り合い滝本晃司の参加を経てナゴム(レコード)入り、そして当時ブレイクした土曜の深夜番組「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」略称イカ天への出演が決まる。
そしてそれから……
※ 敬称略
・素敵なタイミング
この本に出合ったのは「たま」の大ファンだったから当然……
ではなく、双葉社の編集者である平田昌幸氏のツイートがきっかけだった。平田昌幸氏には、すこしふしぎSFの王道かつ最先端である高橋聖一先生の「われわれは地球人だ!」についてXでツイートをしたときにフォローしていただいたのだけど、今まで担当編集をしていた作品の中にも「ちょっとクセのある楽しい作品」が多かったのだ。
そんな平田昌幸氏が「われわれは地球人だ!」と平行して担当編集をしていたのが『「たま」という船に乗っていた』であった。平田昌幸氏のXは自分のに編集している作品のプロモーションに特化しているのだけど、そのツイートの中に作品愛が隠しきれなく多量に滲み出ていて「表紙買い、作者買い、そして編集者買いってのもあるよなぁ」と思わせてくれる人なのである。
※「われわれは地球人だ!」はこの記事で取り上げさせてもらいました。
大変都合のよいコトに「われわれは地球人だ!」の連載を読みにwebアクションのサイトに行けば『「たま」という船に乗っていた』も読めるのである(担当編集が同じなら当然だが、ペースは違えどどちらも金曜更新だった)。
すぐに『「たま」という船に乗っていた』を読んだ。面白い。すごくまんが道な作風で、いろいろなマンガのオマージュな絵も出て来る。なにより石川浩司さん本人と周りの人々が楽しい。
そんな頃に大好きなマンガ「解体屋ゲン」に出て来るセミレギュラーで実在曳き家職人の岡本直也氏が「昔、「たま」のマネージャーやってた」という事実を知る。世の中の繋がりはとても面白い。
もちろんそのちょっと後に『「たま」という船に乗っていた』にも若き日の岡本直也氏が登場するのだった。作中のあのポーズは今の岡本さんの仕事からなのかなぁ(笑)
※ 岡本直也氏はブルース・リーとか贋作蒐集とか作家活動とか、とても趣味多い人だから、今後も違うマンガに出るかもしれない。なんにしろ2作のマンガに登場、単行本まである曳き家の人はそうはいないだろう。もちろん本人の真面目な建設業の本も出ている。歴史的な神社仏閣も震災で傾いた家も助ける職人ヒーローなのだ。大変な時期もあったようだけど。
・「たま」という船にあこがれて
元々は石川浩司氏が2004年にぴあから発売していた同名小説(現在は増補改訂版が双葉社から発売中)のコミカライズであり、原田高夕己先生の作画でTwitter上で連載、平田昌幸氏の目に留まりwebアクションで商用連載されたものである。
まんが道の絵と作風がオマージュされたそれは、とても石川浩司氏と彼のまわりに集まる人々にとても似合うと思われ、原田高夕己先生のアレンジ力の高さを感じる。長い「たま」の航海を短いギャグで繋いでいくのだけど、とてもサクサクと進み、読み応えがしっかりあるけど胸やけはしないいい塩梅なのだ。
自分はイカ天・エビ天(三宅裕司のえびぞり巨匠天国)の直撃世代で、アマチュア映像が主役のエビ天の時は親父が買ったVHS-Cのビデオカメラを奪ってカセットテープにラジオ体操させるストップモーションアニメを密かに作ったり(当然途中で飽きた)したくらいにはあの平成名物TVシリーズは好きだったのだ。
イカ天の後期にはカシオペアのベースになったナルチョ(鳴瀬喜博氏)も出ていたし。「口で三連やってみろ」って怒ったのはナルチョだったっけ?
※ もうひとつのイカ天「いかす走り屋チーム天国」も大好きだったけど。D1やFDJでちゃんとドリフトがスポーツになるとはなぁ……
当時は東京に出るか出ないかで悩むも、北海道を出ないと決めた時代で、知らない東京の音楽シーンを観られるのがイカ天だけだったというのもある。仲間の楽器好きは東京に出ていたし、貧乏でもなにかのパフォーマーとして東京で活動したかったが、色々あって絶望して、東京に出た友達に「俺には無理だ」と電話してた頃だ。全国にはそんな若者が沢山いた時代だったのだ。
※ ランニング姿の石川さんに「もしやあれなら俺も」と失礼なコトを思った奴らもきっと沢山……え、俺だけ? もちろん今回、石川浩司氏の凄さを思い知らされたワケだけど。
自分はともかく、あの頃にネットがあればもっと凄い奴らが世に出たかもしれない……いや、東京に出る勇気がなかった時点でやっぱりふるいには残ってないか……
サブカル好きでイカ天も伝説の初回は見逃したけど、そのあとはずっと追いかけて観ていた。当然「たま」が番組を駆け上がる様も観ていた。
愛だ恋だだけの音楽はキライで、フュージョン以外は筋肉少女帯と爆風スランプと妹がハマっていたPSY・Sだけを聞いていた人間には、「たま」の異様な世界観はとても素晴らしく、アングラ・サブカル界の代表のように思って観ていたのだ。
そして挫折した自分たちの屍を越えて夢を叶えた勇者たちとしても。
あのイカ天の5週連続勝ち抜きシステムは「ブルース・リー/死亡遊戯」の五重塔なのだから。
※ いや、お笑いスター誕生!!の10週グランプリシリーズか
だから、イカ天前の「たま」の情報なんか当然ほとんど知らなかったし、あのステージに現れた異形の「たま」と音楽がどう出来たか、そして勇者になる様を『「たま」という船に乗っていた』で読めたのは、とてもありがたいコトなのだ。
・おわりに
『「たま」という船に乗っていた』では時代の寵児となった「たま」がその後も音楽活動を続け、そして長い航海を終えるシーンまで描かれる。メンバーの別れにはしんみりするも、しかしメンバーは船を降りても個人個人で歩いたり自転車に乗ったり船を漕いだりして好きな方向の音楽の世界を進んでいる。
そして出会いの大切さ。とても沢山の濃いキャラが出て来る。いい人間もそうでない人間もいるけど、だいたいが「たま」の活動を褒め、たまに対バンしたり、記事にしたり、マネージャーになったり、結婚したり、いっしょにツアーを回ったりなのだ。本当はもっとドロドロじゃないかと思いつつも原田高夕己先生の絵がなごませてくれるのでそんな思いはすぐ治まる。
2022年にアニメ化された「ぼっち・ざ・ろっく!」は東京のアマチュアバンドシーンを硬軟自在に描いていた。
いわゆるきららのマンガだが、特に機材などのリアリティはしっかりしてアニメ化時にはガチガチの下北沢ロックの曲を作り、もはやアニメ界の寵児といえる斎藤圭一郎監督の手により素晴らしいインパクトを残すアニメとなった。
『「たま」という船に乗っていた』はあの時代の「ぼっち・ざ・ろっく!」でもあるのだ(いや「ぼっちじゃない・ろっく」か?)。ギター一本持ってタダで歌えるハコを回って意欲的に仲間を集めてバンドを作り、インディーズでカセット売って追い風を待つ。ここまではだいたいぼっちじゃない「ぼっち・ざ・ろっく!」の連載の現在地だ。カセットはCDに変わったが。
ここから駆け上がるあの時の「たま」の姿は「ぼっち・ざ・ろっく!」の今後の姿なのかもしれない。だから「ぼっち・ざ・ろっく!」の読者にも『「たま」という船に乗っていた』を読んで欲しいのだ。いや、全ての音楽好きとマンガ好きと、特にあの時代を過ごしたオッさんたちに……
えっ、「たま」はロックじゃないだろうって?
作中でちゃんと権威があったトコから「ロック」って認定されているからいいんだよ!