バブル時代のことを話そう
今のほうが素晴らしいというために昔のことを語ります。今から約43年前。都立高校3年のときに親が千葉に引っ越しをしてしまい、遠くなったので地元の高円寺・中野地区で1人暮らしをしていました。
そのときは、当たり前ですが携帯はないが時間はある。毎晩毎晩新宿や吉祥寺で遊びました。私服なので出入り自由。友人と集まってはいろいろなところで行きました。早めに免許をとった男子の車でドライブにも行きました。
私の世代は高2の夏休みにサタデーナイトフィーバーが流行り、爆裂的なディスコブームが起きました。新宿地下街サブナードの当時先端のインドカレー屋でアルバイトしたあと、地上にあがり歌舞伎町のディスコに行きます。「カンタベーリーハウスビバ館」「ギリシャ館」「シンデレラ」コマ劇場上の「トゥモローUSA」吉祥寺の「スタジオ54」、「吉祥寺伊勢丹上のインディペンデントハウス」などで夜通しへらへらしていました。
当時のディスコは食べ放題、飲み放題。飲み物の主流はバイオレットフィズ。服はJUNのバギーパンツ。サーファーはエンゼルフライト。バドワイザーやクアーズという外資系のビールは別料金でした。ビーフジャーキーを初めて食べたのはディスコでした。
お風呂屋さんが早く閉まるので高校生のときからサウナーでした。よく常連さんの銀座のママに可愛がってもらっていました。平日は吉祥寺のカフェ 「コパカフェ」「チャチャハウス」「ホワイトハウス」「西洋乞食」、新宿の「ダグ」や後にピンクドラゴンになる「怪人20面相」に入りびたっておりました。
特に怪人20面相では可愛がられました。「アメリカングラフティ」や「グリース」にかぶれて着ている服が古着の50年代風だったのでなんだか同じ服のヒトがいて楽しかったです。そこでしりあったヒトに誘われてジャパニーズロックンロールミュージカル「ミスタースリムカンパニー」の劇場にもよく行きました。ジャパニーズロックンロール全盛期です。
その後10年の日本は誰も彼もが遊んでいたような気がします。遊ぶために働き、モテるために働いていました。スキーやスノボ、サーフィンにヨット。そしてゴルフ。70年から80年代の日本は狂乱でした。
私も冬は大好きな尾瀬岩鞍、志賀だけでなく苗場にスキーに出かけました。海は三浦から伊豆まで日帰りや泊まりで相当出かけました。一番行ったのは下田大和館のある多々戸浜。沖縄以上に綺麗な海でした。海外もグアムにハワイにセブ島。近場の温泉にドライブ。お祭りみたいな毎日でした。連休なんて出かけないヒトが信じられないほどでした。
そしてバブル崩壊。私も30前に広告代理店に勤務し普通の暮らしになりました。そして普通に暮らす日々が一番有難いと思います。ハワイのデューティーフリーでブランドバッグを買ったりや高級外車に憧れた時代は終わりを告げました。普通に日々を穏やかに暮らしたいです
キャリアウーマンという女性が男性と働くことががファッションだった時代を経て、今は当たり前になりました。
日々求められたことをやる普通のヒトのほうが、カッコつけているヒトより余程カッコいい時代になったのです。震災などの自然災害・コロナなどの感染症・海の向こうの戦争。近年おこるいろいろなことは、私たちに食べて寝て働く日々の大切さを教えてくれているようです。そして普通の日々の有難さがわかようになりました。布団で寝て、起きたら働く。食べる寝るを繰り返すそれが人生だなとしみじみ感じられます
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