笑い飯哲夫訳「般若心経」って笑える!
社長さんはお笑いの「笑い飯」の哲夫さんをご存知でしょうか?
芸能界には意外と「写経マニア」が大勢いらして、お笑いの哲夫さんがどっきり番組で相方がカバンの中身を暴露するという企画で「写経」好きがバレちゃったというエピソードがあります。
ありがたい「般若心経」をお笑いのエッセンスを盛り込んで「訳」しているわけですが、これが意外ととっつきやすいんです。
「写経好きがバレちゃった」時点で「おーっ!」となったのは言うまでもありません。
『えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経』
大ブレイクして、今では仏教関係の本3冊も出版しています!
「えてこ」というのは関西弁で「おサルさん」のこと。
おサルさんでもわかる「般若心経」刺さりますね!笑
ちなみに冒頭では哲夫さんが万年筆で写経をしている姿が載っています。
味のある字で書かれていますね!
スピード感があって「暗記」している般若心経をダーッと15分ぐらいで書いているような勢いを感じます。無心に書いているといろいろなインスピレーションが湧いてくるそうです。「お笑い」という職業には必須の感覚ですよね。般若心経の訳も「面白く説明」したいという意気込みに溢れています。
「般若心経」の最初は「このお経は観自在菩薩の発言レポート」と言っています。「観自在菩薩」というのは「観音様」のことで、おじいちゃんおばあちゃんがいたら馴染みがあるんじゃない?という感じで始まっています。
観音様のエピソードとしては『西遊記』の孫悟空の頭につけられていた金の輪を三蔵法師にあげた方なんだよ。
この観音様の「発言レポート」を哲夫訳で見ていきましょう。
「照見五蘊皆空 度一切苦厄」
「お菓子の箱が置いてあって、ちょっとひとつよばれたろ、と思って箱を持ってみたらえらい箱が軽くて、中を見たら何も入っていない時言いますよね。
「なんや、からやんけ」
つまり「空」は箱だけあっていかにも中身がありそうなのに、真に食べられる物は何もない。つまり「実体」がないということです。(p25)
哲夫さんによると
この世で認識されるものはすべて「物質的現象」だというのが、仏教の概念です。
「物質的現象」とは、次のようなニュアンスのことやと思います。
この世に存在するすべてのひとつひとつ個別のものを、一旦全部液状にしてみましょう。そして液状になった全部を混ぜてみましょう。
そしてドロドロのひとつのかたまりにしましょう。自分も液状になって、その中に入ってみましょう。
自分という存在がなくなりましたね。
でもそのかたまりをよく見てみると、偶然、何かと何かとこのへんとそのへんが合わさって一瞬ひとつの「何か」が生まれたようになっています。
また偶然液状の手、液状の足、液状の頭、液状のうんこが合わさって、 一瞬液状の「自分」が生まれたようになっています。
何やかんやが一瞬出来上がったり、なくなったりしています。そんな感じで生まれたものが「物質的現象」なんやと思います。(p38)
「インリン」に念押しで「オブ・ジョイトイ」
まず「亦」は、「また」と書いてありました。「復」も、「また」と書いてありました(漢和辞典によると)。同じ意味です。
「亦」では画数が少なくて書き足りなかったんでしょうか、画数の多い「復」をつけ足してあります。
「インリン」だけで十分やのに、足りないから「オブジョイトイ」をつけ足しているんでしょうか?
脳内作用にも実体がない
これを念押しするための「亦」と「復」なんですね。(p44)
そしてトリはこちら!「がんばってー」
すなわち、「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」です。
全然意味わかりませんよね。これもサンスクリット語の音写なんです。サンスクリット語で「ガテーガテーパーラガテーパーラサンガテーボーディスヴァーハー」と言います。意味は「ガンバッテーガンバッテー」ではないらしく「往ける者よ往ける者よ彼岸に往ける者よ彼岸に全く往ける者よ悟りあれ幸あれ」などになるらしいんですが、なんのことやねん、となるんで個人的に「ガンバッテー」みたいな感じでいいと思います。
個人的に「がんばってがんばってよくがんばってまさによくがんばって悟れよ幸あれ」だと思います。(p128)
ここまで『えてこでもわかる笑い飯哲夫訳 般若心経』を紹介しましたが、無心に書けば意味は必要ない。
門前の小僧ではありませんが、そのうち自分なりの「般若心経」を心の中に持てばいいと思います。
人それぞれ、その時々に合わせて都合よく「般若心経」を使い回せば、心の平安に少しでも役立つと思います。