名前を呼んだらその人を操ることができるって?
名前を呼んだらその人を操ることができるって?
昔、天皇様に苗字がないと
知った時は驚きました!
それに名前はあっても上皇様とか
表現されますよね?不思議じゃない?
それでちょっと調べたら、日本って
本名で呼ぶことを避ける文化らしいの。
歴史の本に「諱=いみな」って
書いてあるでしょう?
現代にはあまりない感覚ですが、
古代の日本には、高貴な人や死者を
本名で呼ぶことを避ける
文化がありました。
ホラ、死ぬと戒名が付けられるし・・・
それが転じて、やがて他人の生前の
本名をむやみやたらに呼ぶことも
避けられるようになったといいます。
馴染みのない言葉ですが、
人物の本名のことを「諱いみな」と
表現することがあります。
「諱」という漢字を訓読みすると「いむ」と
読めるのですが、ここから分かるように、
諱には「口に出すことをためらわれる」
言葉であるという意味が含まれています。
じゃぁ、
どうして本名を呼んではいけないのでしょう?
「諱」の文化は、
「人物の実名とその人物の霊的な
人格が結びついている」という
古代中国に端を発する宗教的な思想
に基づいています。
それぞれの人物の本名=諱は、
それぞれの人物の霊的な人格と
結びついたものであり、
その本名を口にすると
その霊的な人格を操ってしまうと
考えられていたのです。
だからこそ古代の日本では、
本名=諱を呼ぶのは親や主君のみに
許されることであり、それ以外の者が
諱で呼びかけるのは極めて無礼である
とされていました。
諱を忌避するこの風習が、いつから
始まったのかは定かではありませんが、
明治時代頃まで続いてきたようです。
じゃぁ、諱を避けて個人の名前はどう呼んだの?
本名=諱を避けるという発想から、
個人の名前は
通称で呼ばれることになりました。
いわば個人のことを表現するために、
ニックネームが用いられたのです。
そのニックネームの付けられ方として、
代表的なものが官職名を用いたもの。
中国風の官名での呼び方で、
太政大臣を「相国」と呼びます。
ここから、1167年に武家として初めて
太政大臣という高位にまで上り詰めた
平清盛は 「平相国」という通称。
また
京都の六波羅に平家の邸宅があったので
清盛は 「六波羅殿」とも呼ばれました。
平安時代以降、貴人に対しては、
その貴人が居住していた邸宅の
所在地名やゆかりのある建物の名前
などに基づいて付けられた通称で
呼ぶことも多かったようです。
たとえば、
平安時代に栄華を築き上げた
摂関家・藤原氏北家ですが、
その中の藤原兼家は
その邸宅の名称をとって 「東三条殿」
兼家の息子である道長が法成寺を建て、
この寺のことを別名「御堂」と呼ぶため、
道長は 「御堂」 という通称をあったの。
道長の日記『御堂関白記』の名称は
ここからきています。
さらに
その道長の息子である頼通も、
京都府の南の宇治の地に平等院を
建てましたが、この建物が別名「宇治殿」
と呼ばれていたことから、頼通にも
「宇治殿」の通称がありました。
今は名前に使って良い字が増えましたが、
名前って面白いことがいっぱいですよね?
しかも、
実名とその人物の霊的な人格が
結びついていると思われてきた
長い歴史があって、
それぞれの人物の本名は、それぞれの
人物の霊的な人格と結びついているから、
その本名を口にするとその霊的な人格を
操ってしまうと考えられていた・・・
名前でその人を操ることができるって?
ソレ、自分に使えば最高に結果出せるよね?
そう、私が言いたいのは
「お名前」大事なんですってこと。
名前は自分、愛着を持つこと超ダイジ。
「名前物語」では自分の使命と
本質がわかります!
お名前のもつ自分の物語で
「在り方」を変えられますよってこと。