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5000年前のミイラは「奪い合い社会の」サンプル!

5000年前のアイスマンは「奪い合い社会の」サンプル!

レムリアの遺伝子と細胞は、
何かを奪ったり奪われることに
過剰反応します。

公平な分配が行き届いていて、
レムリアの遺伝子に問いかけたら
「楽しく暮らす」ことが第一の法則。
それ以外の選択はありません。

遺伝子にとって一番大事なものに
フォーカスしているといえます。

その地球でレムリアが平和に暮らして
文字を必要としていない時代に
レムリア以外の支配と被支配の制度を
取り入れていた「奪い合い社会」
サンプルミイラ!「エッツィ」


※私は縄文が文字だと考えていますが。

今から30年前の1991年9月、
オーストリアとイタリアの国境の
山岳地帯で、ヨーロッパで最も有名な
ミイラが発見された。

5000年以上前の凍結ミイラ「アイスマン」
標高約3200メートルの湖のそばの氷原で、
うつぶせの状態で横たわっていた。

このミイラは、
発見地エッツタール・アルプスから
「エッツィ」と名付けられ、
たちまち世界の注目を集めました。

新石器時代のヨーロッパを生きた
彼の生活や壮絶な最期は、
数々の本やドキュメンタリーに描かれ、
長編映画まで制作されています。

エッツィは現在、イタリア、
ボルツァーノの南チロル考古学博物館で、
研究者たちに管理されています。

干からびた体は、マイナス6℃に保たれた
特製の冷凍室に保存されている。

年に4、5回、滅菌水をエッツィに散布して、
ミイラを保護する氷の膜を作る。

これは、「ウェットミイラ」

乾燥した場所ではなく湿気のある環境で
自然に保存されてきたミイラの状態を
維持するためなんですね。

毎年、平均で約30万人が
ボルツァーノを訪れ、
冷凍室の分厚いガラス窓越しに見る
アイスマンの姿を観光している。

ヨーロッパ最古の都市の誕生や
エジプト最初のピラミッド建設よりも
ずっと以前に生きていた「エッツィ」

驚くほど良好な状態で保存されている彼は、
貴重な研究の機会となるため、
多くの研究者をひきつけている。

「私の知る限り、エッツィは、
今までに世界で最も綿密に調査された人体」

ドイツ、ミュンヘンを拠点とする法医学者で
エッツィ保存の責任者、
オリバー・ペシェル氏はこう話している。

このアイスマンの生と死について
30年間の研究でわかったことは、

エッツィは、やせて小柄、160センチほどの
男性で、死亡時の年齢は約46歳。

左利きで、靴のサイズは26センチ。

眼窩に残っていた眼球から瞳の色は
青とされてきたけれど、ゲノム解析で、
そうではないことがわかった。

瞳は茶色、髪は濃い茶色です。
皮膚は地中海人種に典型的な色とわかり、
血液型はO型で、乳糖不耐症だった。

また、珍しい遺伝子異常によって
第12肋骨が形成不全になっている

虫歯、腸内寄生虫、ライム病に悩まされ、
膝、腰、肩、背中に痛みを抱えていた。

彼の体には61の入れ墨があったが、
それは損傷がある骨と関節の位置を示していた
現在のはり治療のツボとも一致しています。

また、エッツィは複数の肋骨と
鼻を骨折したことがある。

指の爪に水平に刻まれた溝は、
死の数カ月前に幾度となく
肉体的ストレスを受けたしるしで、
おそらく栄養状態が悪かったみたいです。

さらに、動脈硬化になりやすい
遺伝的素地があり、CTスキャンによって、
世界最古の心疾患例であることが
確認されている。

放射性炭素年代測定の結果、
エッツィが生きていたのは、
およそ5200年前、紀元前3350年~3110年
とされている。

まぁ、研究されつくした
太陽系文明の「エッツィ」
戦争もしくは、殺し合いで勝ったのか
負けたのか知りませんが、

ともかく、山の上の上まで逃げまくって、
絶命して。そのまま氷の中に
閉じ込められていた。
おまけに弓だの、斧だの武器持参。

体中には怪我だらけ。
そのけがをカバーするように
手間暇かけて全身に治療として
61か所にも及ぶ「入れ墨」がされてる。

しかも入れ墨の位置が
東洋医学のツボと完全に一致!
という不思議なお体の持ち主。

わたしたちレムリアの故郷
ニッポンの三内丸山遺跡では、
武器なんかなくて、争った形跡も
全くない


人々は平等に共同墓地に埋葬され、
子供は大切に「土器」にいれて
埋葬されている・・・
この違いって何なんでしょうね?


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