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万葉集も言霊と神様の謎解き書

万葉集も言霊と神様の謎解き書

最近では「言霊」という言葉が
よく使われるようになりました。

例えば「ありがとう」という
言霊には不思議な力がある……と
いうような使われ方をします。

でも実際にぶつぶつと
「ありがとう」を繰り返して
お念仏している方って

「引き寄せたくてたまらない」
というチープさが露出していて
最近は良く思われていない。

ありがとうと言うと、
感謝できることを「引き寄せ」
というのが定番の解釈ですが

予祝と一緒で
私はあまり感心できません。

だって、「今を生きる」派ですし、
神頼みという他力の使い方、

つまり「言霊」の使い方を
マスターしちゃったから。

これからお伝えするのは
もっと深い内容です。

私はプロテスタント系
女子校の出身なので
かつては・・・(礼拝があるから)
聖書は毎日読んでました。

パイプオルガンがある礼拝堂
もう、異空間であり崇高さにあふれていた。
キリスト教に洗脳されそうで
洗脳されずに済んだのは

脳ミソが、DNAがニッポン人だったから。

聖書に戻りますと、
初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。

新約聖書『ヨハネによる福音書』
の冒頭です。

この「言葉」というのを
単純に言葉と解釈して
イイワケではありませんが
言葉が神であるといっています。

さて、我が国ニッポンはことたまのさきはふくに


『万葉集』のなかで、
山上憶良は
「言霊のさきはふくに」
と表現しています。

言霊=コトタマ

言葉は
神様であるという定義づけね!

つぎは、『万葉集』
柿本人麻呂の和歌です。

敷島の倭の国は言霊の
佐くる国ぞま幸くありこそ

倭の国=和の国
佐くる=咲く

『万葉集』は
日本人の上から下まで
身分に関係なく

「コトタマ」を使って
和歌を詠むことができる

超平和国家の宣言でもあるの。

聖書や経典、洋の東西問わず
言霊の思想は広く
扱われています。

けれど、みんな立派な教祖様の
言葉で洗脳を目指してる

※批判してないつもりです。

ニッポンは違うの!
ヒノモトと言うべきだけど

大和朝廷だって、「大いなる」「和」でしょ?


そういうわけで、
名前の中に神がいる!と

いつも言うのは、
「コトタマ学」学んで
言葉が神であるというだけでなく、

日本語の五十音は一音一音が
神であると知ったから。

文字だけではなく「音」とも
連動しているんです!

すっごーい!

神とは働きである


つまり言葉=神=働き

神といっても宗教とは
一切関係ありません。

古来、八百万の神として
尊ばれてきましたが、
これは言い換えるなら
八百万の働きです。


森羅万象の尊い働きを、
先人たちは神と称したのです。

すべての動きが
エネルギーの活動だってこと、
そして言葉が神であり、
日本語の五十音は
100人の神様と対応しているの。

古事記は言霊の書なんですね。

五十音の、一音一音が神である。
このことが古事記に書いてあるの。



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