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母の姉妹げんかの捨て台詞「生まれてこなきゃ、良かったのに!」

母の姉妹げんかの捨て台詞「生まれてこなきゃ、良かったのに!」

私が㋙にかかっている間、丁度良いタイミングで母を静岡の叔母のところに行かせてた。私が熱で寝転がっている間、母は相変わらず、妹ファミリーを
振り回していたようです。

姉妹喧嘩をして、叔母に「小さい時からエラそうに、アンタなんか生まれてこなきゃ良かったのよ!」と絶叫したらしい・・・

またもや、叔母にも浴びせたか!猛毒ガス言葉・・・

叔母も相当頭にきたらしく、「お姉ちゃん、そういうことは、あの世のお母さんに言ってよね!」と切り返したとの事。


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電話で叔母は、

それでも、やっぱり腹が立つ。なんであの人は「イヤ」なことを、あっちこっちで言うんでしょうね?

母はケンカの後は知らん顔で、他の従兄妹のところに行き連泊。火曜日にはその89歳の従兄妹を連れて、新幹線乗って帰ってきた・・・


まぁ、やり口もイジワルなものだから、優しくしてあげようと思っていた叔母にしてみればムカッ!


そして母からしてみると「佳人」である美しく、何でもできる叔母は、妹なだけに「子供のころからの宿敵」なのかもしれません・・・


まぁ、母は「死にたい」とか、「生きてたって、しょうがない」とか、
しょっちゅう言うから、「またか」って諦めていますが他人にはキツイ。


叔母はタマタマ言われて、そうとう頭に来ちゃったんですよね!

火曜日は「厄落とし」に家族で「鰻」食べて来たそうです!

美味しいものを食べる切り替えって効果ありますよね!叔母は多趣味だし「ご自愛」も上手。いつもご機嫌でいれれるように、自分に対する気遣いも達人です。ディーン・藤岡のコンサートなんか孫を招待して一緒に出掛けたり、家族サービスをしながら自分も楽しむの。見習いたい「年の取り方」です。

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また、蒸し返しますが


母の究極の「爆弾」捨て台詞・・・「あんた生まれてこなきゃよかった」について以前にも書いたので、そのこと再度、お伝えします。


図書館で

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『生まれてこないほうが、良かったのか?』
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という、森岡正博の本を見つけました。偶然の必然ですね!


森岡正博博士は、東大で学び、早稲田とかで教鞭を取っていた、哲学と、倫理学と生命学の教授。『草食系男子の恋愛学』って本で、わりとメジャーな方です。


「生まれてこなければよかった」という、暗黒トンネルをくぐりぬけて「生まれてきて本当によかった」という光明を見ようとする道、


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私はそれを「誕生肯定」と呼んで、哲学的に考察してきた。
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というところから始まります。

内容を紹介しますね!


21世紀の哲学においては「生まれてこなければよかった」という思想は広く「反出生主義」と呼ばれていて、

・・・・・・中略

人間が生まれてくることや、人間を生み出すことを否定する思想がある。「反出生主義」とは、人間たちがこの世界生まれて出てくるのは間違ったことであるから、人間たちが生まれてこないようにした方が良いとする考え方で、その「反出生主義」にも、いくつかのバリエーションがある。

その中の1つのデビット・ベネタの「誕生害悪論」もその一つである。ベネタは、人間が生まれてくる事は例外なく悪いと主張する。生まれてきた人が、友人や家族に恵まれた人生を送り、仕事が成功して、幸せに満ちていたとしても、その人が「生まれてきた事」は、その人が「生まれてこなかったこと」に比べて悪いのだと言う。


そしてベネタは

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「人類の段階的絶滅」を提唱している。
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自殺によってではなく、人類が徐々に、「出産を諦める」ことによって、全体としてこの世から消えていくのが良いと言うのである。

つまり、人類の自然消滅を肯定してるのね?


なんか、やたらと暗いよね!

実は「誕生否定」の思想は、文学においても哲学においても宗教においても、古代から面々と説かれ続けてきた。「生まれてこないほうがよかった」は、人類2500年の歴史を持っているのであり、現代において突然出てきたものではない。


そして読み進んでいるうちに、びっくりすることが出てきました。


ゴータマ・ブッダの哲学を考える。
という所では


アジアで最も「反出生主義」に近い哲学を打ち出したのは、
ほかならぬブッダの原始仏教である。
ブッダは、二度とどこへも生まれてこないことを究極の目標
として修行した。それはこの世において大いなる安らぎに至る悟りの道である。
古代インドで最も反出生主義に近い考え方を説いたのは、原始仏教である。原始仏教は人間が経験する一切は苦しみであると考えた!


生きてることは全部苦しみ?


当時のインド世界では輪廻が信じられていたから、死後に輪廻して生まれてくる。次に生まれてくる世界でも、また苦しみを経験し続けなければならない。出家者たちは、死んだ後二度とどこへも生まれないことを願って修行した。
二度と生まれないことを願うのであるから、これは反出生主義の思想である。


ブッダが直接書き記したとは、一切残されていない。

原子仏典に現れたブッダの考え方を要約すると次のようになる。


まず、この世で生きる事は苦しみである。この世で死ぬと輪廻によって別の世界に生まれる。そこでの生も、また苦しみである。そして再び輪廻する。

このようにして私たちは永遠に苦しみから逃れられない。

この苦しみから逃れるためには、この人間界で自分自身の執着、欲望、愛欲を断滅し、もう二度と輪廻によって別の世界に生まれなくても良いとという境地に達する必要がある。

この安らぎの境地を涅槃と言う。涅槃の境地に至るために、所有物を手放して出家し、他人への愛を手放して、「原因があって生じるあらゆる物事は
全て変化し消え去っていく」「いかなるものも私ではない」という真理を正しく洞察し、瞑想によって心を整えて、執着や欲望にとらわれない、正しい生活をしなくてはならない。


「正しい」って何さ!


涅槃の境地に至る道は遠いが、日々の修行を積み重ねれば、この世で涅槃の境地に至る事は可能である。それが解脱。であーっる!

なんか、暗すぎない?
なんか、絶望過ぎない?


ちょっと、ブッダのこと嫌いになっちゃいますよね?


愛する人間を作るな!愛するものを作るな!という教えは強烈なネガティブですよね?

しかし考えてみれば、たとえ愛する人人がいたとしても、愛はいつ壊れるか分からないし、壊れなかったとしても、その人とは、いずれ必ず死別あるいは離別するので、その別れの苦しみは愛情が深ければ深いほど大きいであろう。

いくらお互いに愛し合っていたとしても、2人が同時に瞬殺されない限りは
どちらかが先に死んでいくのである。


もう、コレほどネガティブ入ってると地球人は救われないよ!


それに、大きなお世話!

ブッダは「救済」する人がいなくなる、地球に人間がいなくなることが、
究極の理想だったの?

うへぇぇぇぇ。

そうなると母の言葉はブッダの哲学に影響されてる?そんなバカな!なんですが、ブッダが乗り移って「生まれて来なきゃよかったのに」と言わせたのかもしれません!

そんなことはあり得ないけれど、ともかく「憎たらしい」ひとこと。

もう、生まれてきちゃってる私たちには「言っちゃダメ」な「ひとこと」ですよね!


《音声》はこちら↓↓母が私に「生まれてこなきゃよかったのに」
https://lucky-t.net/ebisu/ebx5


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