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レムリア人が世界文明を朝鮮半島を経由して世界に伝播した。

いったい古レムリア人はどこから来たのか?

いったい縄文文明を作った
古レムリア人はどこから来たのか?

というと、海洋説が優勢ですが、

縄文時代といわれるの38000年前から。
それは古レムリア人が築いた文明です。

その古レムリア時代は
考古学的な出土品があるたびに
あっちこっちしちゃうんですね!(笑)

私はもともと居たんだと思っています。

島国になる前から、マンモス・ハンターが
来るより前から平和主義の人々が
「東の楽園」=日出国を
求めて移動してきていたと思います。

すでに最初っから「居た」と思っています。

なぜなら、
遺伝子的にY遺伝子の「D」が

お隣の朝鮮半島や中国には
見られないから。

それどころか・・・

日本から外に出て行った人々が
世界中に散らばって行って

他の文明を起こしたということも
遺伝子伝播から
説明されたりしているんです!

詳しく朝鮮・シナ・倭国のことは
コチラ↓↓これを見たらビックリ

分子人類学から読み解く日本人のルーツとは?

日本から縄文土器が伝わっていった経路

そして、
古レムリア時代=縄文時代の終わりごろ、

中国の春秋戦国時代の
紀元前770年から紀元前221年!

『キングダム』で有名な春秋戦国時代の
「秦」に負けて追われた人々は、出自を
百済だのどこだのとゴマ化して

紀元前700年あたりから
1000年ほどの時を経て
古事記に登場するようになった。

「秦氏」として!

「秦氏」は「キングダムの国・秦」からは
ハタの人々
つまり、秦の人ではない人々。

そういうまぁ、戦争に懲りちゃって
「日出国」の豊かさに憧れて
移動してきた人々だと考えられそう。

けれども当時は、

私たちネイティブ・ジャパニーズである
古レムリア人からもニューカマーの
「ハタ」=部外者=縄文人じゃない人
として、定着した。

ニューカマーの秦氏たちは、我が国を
豊かな国に貢献しようとご活躍なさった。

聖徳太子のブレーン

秦河勝=ハタノカワカツ


このお名前
「河=黄河流域の敗者だけど
心は勝者のハタの人ですよ」

って自己表明してるみたい!

漢字には意味がありますからね!

日出国まで来て「勝者」になった。
とも捉えられます。

空海の入唐の資金提供者としての

阿波の隠れ富裕一族「秦氏」は
金の採掘と土木事業の技能者集団。

それこそ1250年以上前の時代に
今でいうと、ロスチャイルド家や
ロックフェラー家のように
古事記の時代に登場する至ったわけ。

「秦」氏から枝分かれした
お名前は今でもどっさり
見つけることができます。


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バーバラ・マルカワ
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