空海というハイブリッド「レムリアン」をサポートした渡来系氏族
空海というハイブリッドレムリアンをサポートした渡来系氏族
空海という日本先住民の佐伯という氏族
と今は渡来系氏族として扱われている
古代外来人とのの関係を
さらにその周辺について一番詳しいのは
https://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/nagasawa/new-13.html
だと思います。が学術的で難しいので
私が簡単にご説明していきたいと思います。
まず、秦氏については
「私たちの祖先はネイティブジャパニーズ」
でユダヤ人とか中国人とかとは違う
Y遺伝子の「D」を持っている。
そして秦氏はヘブライ語を話す
人々のことをさしたと書きました。
謎の多い、秦氏のルーツですが、
秦氏は、『日本書紀』によると、
応神14年の条に、弓月君(ゆづきのきみ)
という人が百済の120県もの民を連れてきて
帰化したことが記され、
平安初期の古代氏族名鑑
『新撰姓氏録』には、応神14年、
秦始皇帝の5代あとの
孫融通王(弓月王)が、
127県の百姓を率いて帰化したと
書かれています。
日本での
秦氏はこの弓月君をもって祖としています。
秦氏のルーツには、
中国春秋時代に滅んだ呉・越の
流浪の民である
(越出身の者は銅の生成に優れる)とか、
秦始皇帝にさかのぼるなど諸説ありますが、
新羅あるいは加羅(伽耶ともいう)だ
という説が有力とされています。
秦氏のルーツ説に関して興味深いのは、
かの「日ユ(日本・ユダヤ)同祖論」を
提起した佐伯好郎博士の
↑↑(なぜ「佐伯」?
「弓月」国ルーツ説および
秦氏=ユダヤ人景教徒説です。
「弓月」国は、中央アジア、
今のカザフスタン東部にある
バルハシ湖の南方に、1-2世紀に存在した
といわれる小さなキリスト教国で、
中国語でクンユエといいます。
クンユエには「ヤマトゥ」=「神の民」の意
という地名があり、
「ヤマトゥ」が「やまと」になったともいう。
この「弓月」国の民は、実は景教徒でした。
だから、すなわち空海が留学先の長安で
華厳・密典・サンスクリットを学んだ
大秦寺の般若三蔵が
実はネストリウス派のキリスト教の
信徒だったというトンデモ説もあります。
このトンデモ説でいくと
ネストリウス派は、431年エフェソス公会議で
異端とされ、ローマからシリア・ペルシャへ、
そしてシルクロードを経て
中国まで行きついたとされるのですが、
ユダヤ教の色彩が濃く、
「弓月」国の景教徒は
古い頃イスラエルを追われた
初期のユダヤ系キリスト教徒では
ないかとも思われているんですね。
空海は、このネストリウス派の
キリスト教を長安の大秦寺で
般若三蔵からサンスクリットと一緒に
学んだという妄想のもとで展開すると、
(ここから妄想モードです)
大秦寺の旧名は「波斯(経)寺」
で、「波斯」とはペルシャを意味し、
「大秦」はローマ帝国を指す漢字。
般若三蔵から、その大秦寺の僧
景浄(アダム)を紹介されていたはず。
だというストーリになります。
般若は、その景浄と胡本(ソグド語版)の
『六波羅蜜(多)経』を漢訳し、
それが不備であったため、
のちに梵本(サンスクリット版)から
再度訳出した。
空海はこの漢訳を般若三蔵の原本から
書写したと考えられる、ということで
空海はそれを長安から持ち帰って
『御請来目録』に『大乗理趣六波羅蜜(多)経』
と記しています。
景浄は、唐の長安にネストリウス派の
キリスト教が布教されていたことを
石碑に書いて残しています。
空海が
それを見ていたかどうかは不明ですが、
今、西安市の碑林博物館に安置されている
大秦景教流行碑がそれなんですね。
そしてそのレプリカが、明治時代、
『弘法大師と景教の関係』を著した
イギリス人のE・A・ゴルドン夫人によって
高野山奥之院に建てられているんです。
奥の院には去年行って、驚きました。
宗旨宗派を問わず「誰でもお墓を立てられる」
密教じゃなくても、真言宗じゃなくても
かまいませんよ!
「お金さえ払えば」という
望めば叶う高野山!というところ。
このあたりも、「金儲け主義」とは違う
空海の「グローバリズム」だったんだと、
今は思うに至りました。
秦氏の説明は次回に。
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