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『若狭武田氏と家臣団』を刊行しました

こんにちは、戎光祥出版の丸山です。

新刊の河村昭一著『若狭武田氏と家臣団』を刊行しましたので、紹介させていただきます。

『若狭武田氏と家臣団』書影

著者は河村昭一先生

本書の著者である河村昭一先生は、1948年に福井県にお生まれになり、広島大学文学部、広島大学大学院文学研究科博士課程と進学され、兵庫教育大学で長く教鞭を執られ、現在は同大学の名誉教授となられております。

主に南北朝・室町時代の守護権力に関するご研究がご専門で、これまで弊社から『安芸武田氏』、『中世の播磨と清水寺』、『南北朝・室町期一色氏の権力構造』を刊行されています。安芸武田氏や若狭武田氏、一色氏のほか、斯波氏や朝倉氏に関する論文も多数発表されています。また、『福井県史』通史編の編さんにも携わられ、福井県の中世史研究の第一人者といっても過言ではありません。

若狭武田氏ってどんな一族なの?

本書は、若狭武田氏に関する初めての通史なのですが、「若狭武田氏」と聞いて、すぐに具体的なイメージが湧く方はおそらく少ないのではないでしょうか?
というわけで、簡単にご紹介。

若狭武田氏は、もともと武田信玄を輩出した甲斐武田氏と同じく源義光(新羅三郎)の後裔で、南北朝時代に安芸守護だった武田信武が足利尊氏に味方して全国各地の合戦で活躍した功績により甲斐国守護職も手にし、信武の嫡男氏信が安芸守護を、次男信成が甲斐守護を継ぎました。
その後、氏信の子孫である信栄が、室町幕府6代将軍足利義教の命で一色義貫を誅殺した功で新たに若狭国守護職を拝領し、以後、信栄の子孫が若狭に勢力を扶植していきました。この信栄から始まる一族が若狭武田氏と呼ばれます。

以上のことから、武田氏の嫡流は甲斐武田氏ではなく若狭武田氏だったのです。

若狭守護を拝領した経緯からも、その後の若狭武田氏は足利将軍・室町幕府とべったりの関係を築き、戦国期にいたるまで将軍を支える有力大名として軍事的にも政治的にも頼りにされていました。
その中で、武田元信・元光の時期に戦国大名化を遂げ、居城・後瀬山城(福井県小浜市)を築くなど、領国支配を本格化させます。
しかし、桂川合戦の大敗北を一つのきっかけとして勢力は衰えていき、重臣との対立、当主父子の骨肉の争いなどもあり弱体化、隣国越前から朝倉氏が攻めてくると、当主元明が越前に連れ去られてしまい、頽勢は決定的なものとなります。
その後、織田信長による越前征伐により朝倉氏が滅亡するものの、若狭武田氏が若狭の大名として復帰することはなく、本能寺の変後に明智光秀に内通していたとみなされた元明が近江国海津(滋賀県高島市)で自害させられ、若狭武田氏は滅亡しました。

『若狭武田氏と家臣団』の読みどころ

以上が若狭武田氏のあらましになるわけですが、本書の第Ⅰ部では「若狭武田氏の歴史」と題して、たくさんの史料に基づき若狭武田氏の通史がわかりやすく叙述されています。
それまでまったく縁のない土地に守護として勢力を扶植していく過程を追うことができるとともに、守護から戦国大名へと変化していく過程を史料からはっきりと分析できる点が、本書の一つの読みだと思います。

また、特筆すべきは第Ⅱ部の「若狭武田氏の領国支配・家臣団・文化」でしょう。
ここでは、若狭武田氏はどのように領国支配をおこなっていたのか、家臣にはどのような家があり、彼らはどのような特徴を持っていたのか、さらには文化に堪能であった若狭武田氏はどうやってそれを身につけ、それをどのように政治的に活かしたのかなど、一族の通史を追うだけでは見ることのできない様々な点にまで目をくばり、詳しく解説されているのです。
これにより、若狭武田氏がどのような一族だったのかをさらに大きな視点から理解できるようになるわけです。

そして終章では、総括として大名としての若狭武田氏を評価しています。
ここで結論を書いてしまうおうかとも思いましたが、やめておきましょう。
河村先生が若狭武田氏に対して最終的にどのような評価を下したのか、ぜひ皆さまの目でご確認ください。

購入方法は?

と、ここまで『若狭武田氏と家臣団』の紹介と称してつらつらと書いてきたわけですが、少しは興味を持っていただけたでしょうか?

最後になりますが、『若狭武田氏と家臣団』は全国のリアル書店・ネット書店様のほか、弊社のHPから通販することも可能です。
皆さまのご注文をお待ちしております!!

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