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思い出の旭橋

「電車が通るのがめずらしかった」

旭橋ができたことは、忘れないね。
本当ににぎやかで、いつも人がゾロゾロ歩いていたね。
橋の上を電車が通るということも、当時としてはめずらしかったから、みんな近郊から出てきて、6銭出して電車に乗ったものです。
こんな大きな橋ができたことが、子ども心にも自慢でね。開通式のことは、きのうのことようにおぼえていますよ。今の冬まつりなんか比べものにならないくらい、身動きできないほどの人出だったね。
私は青函トンネルも通ったし、瀬戸大橋も渡った。ふたつとも確かにすごいと思ったけれど、今では技術も進歩しているからねえ。70年も前にこの旭橋を作ったということがすごいね。堂々としていて、姿がよくて、まさに旭川を代表する橋だと思います。

棚田薫さん談(取材/平成14年)

「昔からみんな川で泳いだ」

私らの子どもの時代はね、みんな旭橋周辺の川で泳いだもんです。
川がプールがわりだったね。近所の同級生で、父親に後手にしばられて石狩川に投げ落とされて、泳ぎの特訓を受けたやつがいたね。
びっくりする話だ(笑)。

でも、そいつは泳ぎがうまくなって、旭橋の下から神居古潭まで泳いだこともあった。だからあだなは「カッパ」。旭橋のアーチから飛び込んだりね。当時は川底が深かったからいいけど、危ないから、絶対マネしたらだめだよ(笑)。
昔はもちろん危険なこともたくさんあったけれど、なんていうか、子どもが伸びやかだったね。大人に管理されない、子どもだけの世界があったから、そこで学ぶことも多かったと思う。みんな貧しかったけれど、ある意味では、幸せな時代でしたね。 孫に昔の話をしてやると、すごく喜ぶんですよ。

棚田薫さん談(取材/平成14年)


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