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【Aponte取材日記④】Aponteシェフの夢(河村剛大)Ep.1

(過去のエピソードはこちら)


Aponteのホープ

「新春のメニュー登場です!」

1月末から始まった新しいメニューの写真をInstagramに投稿する男がいる。Aponteの河村剛大(カワムラゴウタ)だ。

SNS担当としてお店のお知らせをお客さんに発信するだけでなく、期待の若手としてお店の厨房も切り盛りするが、まだ24歳だ。料理人人生としてのこれからも長い。

今回は、若いながらもAponteで中心的な役割を果たす河村に話を聞いてみた。

生まれながらの料理好き

河村は1998年2月生まれ。出身は中目黒となんともオシャレな場所だ。

生まれながらの料理人なのか、料理は物心がつくころから好きで、小学校の読書の時間からレシピ本を読んでいたらしい。

「母と祖母が料理が上手だったからでしょうか、自然と料理が好きになっていました。特に母がつくる『たらこパスタ』と祖母がつくる『ナスのはさみ揚げ』が大好きでしたね。祖母は京都に住んでいますが、出汁で食べる『ナスのはさみ揚げ』が美味しすぎて、それを食べたくてわざわざ京都に行くぐらいでした。」

そんな料理が上手な家族に囲まれつつ、父親は父親で、仕事から帰ってくると河村を外食に連れて行ってくれた。常に美味しい料理に囲まれた幼少期を過ごしてきた彼にとって、料理を好きになるのは必然だったのかもしれない。高校を卒業した彼は、ついに料理の世界の門を叩いた。

「本当は中学の時から料理人になることを夢見ていたので、高校も料理の専門学校に行きたいと思っていました。ただ、両親も料理とは関係のない仕事をしていたので、本気で料理をやりたいか確かめる意味でも、高校は普通科に通って、それでも料理がしたければその道に進む、ということになりました。」

エコール辻東京調理技術マネジメントカレッジに入学した河村は、2年間みっちりと料理の勉強をした。学校では、和食から洋食まで満遍なく学び、料理の基礎を叩き込む。

そして卒業後、専門学校時代からアルバイトとして勤めていた西麻布の老舗高級イタリアンに入店。ハタチの頃だった。

毎日つらく、毎日楽しい

「最初のお店は上限関係も強く、冗談の1つも言えないような厳しい環境でした。1年間ぐらいは食材の下処理や皿洗いだけで、ガスコンロを触ることもなかったと思います。まかないでさえ作らさせてもらえなかったですね。」
「毎日怒られていました。本当に文字通り毎日(笑)」

そんな厳しい環境であったものの、河村は生まれ変わっても同じお店に入りたいと言う。

「すごい辛かったですが、同時に毎日すごい楽しかったです。振り返ってみると今では考えられないような仕事量でしたが、それでもガムシャラになって食らい付いて、とにかく夢中になって全力疾走した期間でした。あの日々がなければ、今の料理人としての僕はないと言い切れるぐらい、貴重な日々でした。」

ガスコンロに触れさせてもらえない1年間を経て、ポジションも上がり、まかないを作り始める。お客様に出す料理もこの頃から少しずつ関わることができるようになったことで、心境に変化が生まれたと言う。

「最初のほうは本当に目の前のことに夢中で、仕事を回すことだけしか考えられていませんでした。ただ、実際にお客様に出す料理を作り始めてから、料理人としての自覚が芽生えたというか、もっと自分が作っている姿を周りの人にもみてもらいたいなと思い始めました。」

そんな想いが、河村をAponteへの転籍へと突き動かす。

                             (Ep.2に続く)