カレーの過大評価っぷりを問いたい
みなさんこんにちは。えびしゅうまいです。
みなさんはカレーをよく食べますか?
えびしゅうまいはほとんど食べない。
でも昨日食べた。その時に思ったことは、カレーって過大評価されすぎではないかということ。
もちろん昨日のカレーも美味しかったし、今まで食べたカレーも美味しかった。
でも、カレーを食べたくてしょうがない!今日は絶対カレーを食べる!という日があるだろうか。えびしゅうまいにはない。
カレーはいつ食べても75点の味を提供してくれる。それ以上でもそれ以下でもない。
カレーとの出会いを振り返ってみると、給食が思い浮かぶ。給食では、カレーは人気メニューの最有力候補の1つだった。
ここでよく考えて欲しい。他の給食のメニューが美味しくなかったことで、相対的にカレーに対する評価が高まっていたということはないだろうか。
えびしゅうまいは給食が嫌いだった。少なくとも給食を美味しいと思ったことはないし、給食をいかに残すかを考えていた。
実際、先生に「美味しくないから食べたくない」と直訴してほぼ毎日残していた。
でも、カレーはルーなどを使えば美味しくなく作る方が難しい。だから、その75点の味をコンスタントに生み出すカレーが給食で出ると、他の35点のよく分からないメニューと比べて相対的に美味しく感じる。
他の35点のメニューが75点のカレーを引き立てている。
給食でカレーが出ると「やった、カレーだから今日は最低限の美味しさがある」と思っていた。
このような経験を幼少期から積み重ねる日本人は、無意識的に「カレーは美味しいものだ」という価値観が生まれる。(えびしゅうまい総研調べ)
今ではおしゃれなカレーが多くなってきている。インスタで「カレー」と検索すると、小洒落た皿にまん丸に盛られたライス、そしてルーの上にはいろんな葉っぱが散りばめられている。
潜在的なポテンシャルが低いカレーを「おしゃれ」という細工を施すことで客を呼び込む「抗えないポテンシャルの低さを映えでごまかすマーケティング」のように見える。
ここでみんな大好き焼肉と比較してみたい。
焼肉は約9割以上の人が好きな食べ物である。(えびしゅうまい総研調べ)
最近はおしゃれな焼肉屋も増えてきたが、今でも肉を皿の上の乗せて提供する以上のものは多くない。
人間は肉が好きだ。だから、肉を皿に載せて提供するだけで人間は喜ぶ。焼肉はポテンシャルが高いから映えでごまかす必要がない。
実際にバイト先の賄いでも、カレーが出る日はハズレとされている。みんな肉が食べたい。「カレーなど出すな」と怒り狂っている。たまに暴動も起きる。
ここまで聞いて「えびしゅうまいは本当に美味しいカレーを食べたことがないんでしょ」と思うかもしれない。
残念ながら、学校近くの食べログカレー部門で100名店に選出された店に、3店舗ほど行ったことがある。
大学生男子の昼休みにも関わらず、どこもランチで1500円くらいした。だが、想像を超える味はなかったし、友達もこの値段を出すなら焼肉ランチに行くと言っていた。
ちなみにえびしゅうまいは、普段食べない高貴なスパイスにやられて、少し気分が悪くなった。
もはやこのクラスの店になると、カレーはソウルフードというのも通用しなくなる価格帯になってくるから、カレーを食べるという目的がなければ行くことはない。
もうひとつカレーの苦い思い出がある。
ある日、1人でインドカレー屋さんに入った。お腹が空いていて店を探していたら、笑顔が素敵なインド人の呼び込みに負けて店に入った。
その頃えびしゅうまいは鼻の粘膜が弱っていて、3日に1回は鼻血が出ていた。
そんなことも忘れてその日カレーを食べていたら、香辛料にやられてくしゃみが出た。すると、弱った粘膜から滝のような鼻血が溢れ出した。
とっさに目の前のおしぼりで鼻を抑えるが、血はどんどん染み込んで机にも垂れ始めた。
カウンターに座っていたから、きっともうすぐ目の前のインド人が助けてくれるはず。
そう思って厨房にいるインド人を見たら、3人くらいが腕を組みながらこっちを見て笑顔で頷いていた。
インドには鼻血が出ていたら笑顔で見守る、という文化があるのだろうか。
こんな感じにえびしゅうまいはカレーの過大評価っぷりに疑問を感じている。
カレーは美味しいけど期待を超えてくる美味しさはない。みんな「最低でも75点」の味を無意識に求めて食べているだけであって、決して「好きな食べ物ランキング1位」になるような代物ではない。
周りの友達も皆同じようなことを言っているから、この説はほぼ間違い無いと思っている。(サンプル数は3)
ただカレーに関してひとつだけ言えることがあるとすれば、お母さんの作るキーマカレーは120点に美味しい。