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有用性は認めてやるサ

一人暮らしを始めた時から今まで一度も家にテレビを置いたことがない。
見たいものは配信で見られるし、配信でないDVDもPCがあれば再生は可能だし(いまどきビデオテープはあるまい)、四六時中家にいるわけでなし、お家時間にもテレビが必要ということもない。
つまり生活において、テレビという家電が占める割合が少なかった。
電子レンジのほうが活躍してる。

しかし最近になって時々、やっぱりテレビがあった方が良いかな? という気分になる。

困っているわけではない。
上記の通り観たいものに対して不足はない。
だが、それはあくまでも「観たい」と自らアンテナを張ったものに関してのみである。

テレビももちろん、観たい番組があってそれに予定を合わせるなり録画をするなりして選択するわけだけれど、そうでなくとも点けっぱなしにしていることが多い。
使っていない電気の点けっぱなしは怒られるけれど、五分の四くらい聞き流しのテレビはあんまり怒られないし、罪悪感も少ない。
電気の点けっぱなしと異なって、色々勝手に喋ってくれるからだろうか。
勝手に喋ってくれる、つまりは情報が勝手に入ってくるということである。

文字でも動画でも、知りたいと思った情報を得る機会や方法はたくさんあるが、どれも自分で取捨選択したものしか得られない。
気を張り詰めて注視・傾聴せずとも、満遍なく得られる情報に不意の発見があったりする。

普段からアンテナをめちゃくちゃ広げて笊の目を細くして情報を拾っていけばいいだけの話かもしれない。
もっと昔はテレビなんかなかったのだから、無理難題というわけでもない。
だが身の内の寅さんが仰ることには「それを言っちゃぁおしまいよ」

時間がない、情報が多すぎる、精査しきれない、といった現代人のわがままな問題を解決してくれる便利アイテム、テレビ。
今更ながら、あいつって凄いんじゃね? と見直しつつある。
それもこれも距離を取っていたから気づくことだが。


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