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まだ考えてる……

『憐れみの3章』のことを……

しつこく……

好きだったわけでは決してない。
エロ・グロは好みではない。
好みではないし得意ではないのだが、色々と考えると最終的にはそこに行き着くというか、どうあっても避けては通れないという気がしている。
本質的に人間はエロ・グロなのかもしれない。
必要以上に遠ざけられるから返って惹かれてしまうのだろうか。あるいは今までの、我が生身の人生で出くわすことがなかったから好奇心が刺激されるのだろうか。

そりゃ幸運にも交通事故を起こしていないし、遭難から生還もしていないし、カルト宗教にも関わりはない。
これからも関わりたくない。
遭難したくはないし、交通事故にも遭いたくないし起こさないよう気をつけるつもりだ。

極端な物語だし、もう一度観るのもちょっとご遠慮願いたいくらいなのだが、なぜだかふとその異様さを、気がつけばボンヤリと思い起こしている。
異様で物珍しかったから、というだけでは説明不足な気もする。
物珍しさの中に、なにかしら共感や新しい閃きを見つけられそうな……。

分かりやすく面白い物語はこの世に万とある。
何度でもその情景を繰り返し思い描き、興奮を味わいたくなるような物語。
周りからは同じことばっかりしてないで新しいことに取りかかればいいのに、と思われるかもしれない。
しかし繰り返す中で新しい充実や、その時の心境で違う感想が生まれてくることもあるだろう。繰り返すからこそ得るものもある。反復は無意味では決してない。

だがこの繰り返しは面白さが動機ではない。
分からないから繰り返す。
今までない理解がある気がするから、繰り返す。
それくらい「分からない」は不思議な魅力があるということなのだろうか。
であれば「理解できる」は「つまらない」と同義なのだろうか。
いや、それこそは「つまらなさすぎる」考えだろう……。

……などと自分の中で咀嚼し言語化するのも面倒くさい反芻をすること、牛のごとし。分からない、分からない。

なるほど、これが一粒で二度美味しいということか……。


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