いざ行かん、デンジャラス国宝 ~三徳山投入堂~
三朝温泉宿泊の翌日。
心配していた砂漠鍛錬の筋肉痛はなかった。ホッとしつつ温泉旅館の醍醐味、朝風呂を楽しむ。朝の露天風呂って健康的でありながら同時に背徳的な感じもして、レア感がある。
昨晩の夕食に続き、朝食も非常にゴー☆ジャス。
美味しいが量がチョット……、と思うものの頑張って食べる。来る大事に備えてエネルギーをチャージしておかねばならぬ。
外は少し曇っているが雨の気配はなし。暑くなりすぎない、絶景とはならずとも最適の登山日和である。
そう、本日は今回の旅のメインイベント。三徳山三佛寺にある国宝、投入堂に挑む!!!
その昔、飛鳥時代。
修験道の開祖・役小角(えんのおづの/役行者えんのぎょうじゃ、とも)が自身の法力を込めた3枚の蓮の花びらを「神仏のゆかりのあるところへ落としてください」と空に投げ上げると、そのうちの1枚が伯耆国三徳山へ舞い降りた。
役行者は訪れた三徳山のふもとでお堂をつくり、法力でもってそのお堂を手のひらに乗るほどに小さくして、大きな掛け声と共に断崖絶壁にある岩窟に投入れた。
それからお堂は「投入堂」と呼ばれるようになった、という伝説。
ちなみに他の2枚の蓮の花びらのうち1枚は奈良の吉野山へ。もう1枚は四国の石槌山に落ちたという。
岸壁に半ばめり込むように建つ質素なお堂の姿を初めて見たのはいつだったかもう忘れてしまったが、ずっと長く、いつか行きたい、と思いながら今まで過ごしてしまった。
”今は仕事が忙しいから”
”別に急がなくても”
”また時間が出来た時に”
なんて言ってられるほど人生は長くも平穏でもないのだと、気づかせてくれたのは皮肉にもコロナの流行である。
行きたいと思ってから今まで、そりゃ個人的に命の危機に瀕したわけではない。だがコロナが流行して移動が制限され、また何度も地震や豪雨などの自然災害に見舞われ、ロシアのウクライナ侵攻があって……。
つくづく、行きたいところには行きたいと思った時に行くべきだと思った次第である。
そうして満を持しての今回。
調べてわかるが、投入堂までの参拝道は”修行道”。
ガチガチのガチ登山であり、スカートなどの服装はもちろん駄目、登山届と六根清浄の輪袈裟必須、必ず2人以上、単独登山・単独行動禁止、足元は登山に適したものでなければ草鞋を購入すること、など注意事項が沢山ある。
実のところ、旅館の方や昨日出会ったボランティアガイドの方にも参拝に行くと話したのだが、地元の一大スポットだというのにあまり賛同を得られない。どうにもあまりに危険すぎて「止めておいたほうが……」という感じ。
更に言えば我々が訪れる前日には、参拝者が滑落して救助ヘリが出動したそうな。今月2回目。
…………。
一抹どころではない不安が胸をよぎるが、とりあえずデンジャラス参拝道を行く手前までは行ってみよう、見てから決めよう、ということで車で出発。
三徳川を遡って山へ入っていくこと、約15分。
大きな鳥居をくぐって、見事なヤマブキの群生、ミツバツツジの紫などを横目に走っていくと……、
到着!!
……すでに結構な階段なんですが。
いやまぁ、当然ですよね。
投入堂のところまで行くには険しい参拝道を行かねばならないが、三佛寺自体は誰でも普通に参ることが出来る(要拝観料)。
やはりちりそめの桜や、ミツバツツジ、シャクナゲ。錦鯉の泳ぐ池などもあって結構広い。修験道の場なので夏には火祭りも行われる。
案内の看板を横目に、
要チェックや!!
最終チェックや!!!
ここで登山届を出すとともに、装備の確認が行われる。
これ以降トイレ無し・水場無し。
受付の人にもまた、ようよう気をつけて登るようにと注意を受けた。
どうも昨日ヘリで搬送された人は北海道からの旅行客らしい。足を骨折しただけで済んだとのことだが、遥々北海道から来て骨折とはお気の毒である。
毎月1,2回はあるね〜。とまた不安を煽られるが、同時に参拝最高齢は90歳(!)との情報も得て「いけるいける!」と高齢の両親のやる気に火がついてしまった。
まぁ行けるとこまで行ってみよう、と心新たに、出発。
山登りの経験はあまりないが、時間もたっぷりあるし、天気も問題なし。
とにかくゆっくり堅実に登っていけば、いつかは頂上にたどり着く。それが登山の真理である。
そう思っていたこともありましたとさ。
それでは国宝へのデンジャラス道を、どうぞ。
これ、序盤。
これ、中盤(文殊堂)
クサリで登る。
手袋がないと手が死ぬ。
分かっちゃいたが、本当に危険。
なるほど、修行。
撮影者の腕がポンコツなので写真ではいまいち危険度が伝わらないと思う。自分たちもそうして舐めていたのだ。これくらい、なんとかなるさと。
母、ここであえなくリタイヤ。
一応携帯の電波は届いているので、まぁヘタに動かなければ大丈夫だろう。他の参拝者もいるし、下山ルートは同じだし。
父親はそれなりに登山の経験があるので、母親にはここで待機してもらって二人で再出発。
崖にせり出す文殊堂。眺め、良すぎですね……。
靴を脱いでぐるりと木の廊下を回る事ができるが、とても無理。途中まで行ってへっぴり腰で断念した。
やはりこの文殊堂へのクサリ坂が一番の難所だろう。
それを越えてもまだ険しい山道は続くが、「死ぬかも」レベルではない。
これを過ぎてまだ歩く。
マジしんどい。
なんで下山者っていっつも「あとちょっとですよ!」って言うのか。
全然「あとちょっと」じゃない。
「あとちょっと」だった試しは一度もない。
しかしやはり、歩いていればいつかはたどり着く。
その言葉に間違いはない。
これまためり込むように建つ観音堂の裏をくぐり抜け(胎内めぐり)、岩をぐるりと回り込めば、
う、ぉぉ〜〜〜〜〜!!!
着いたぁぁぁ〜〜〜〜(泣
写真家・土門拳をして「日本第一の建築はと問われたら、三佛寺投入堂をあげるに躊躇しないであろう」といわしめた、あの投入堂。
今にも滑り落ちそうなのに、そんな人間の心配など素知らぬ様子。
一体どうして、あんな危険な場所にお堂を建てようと思ったのか。
建立当時の資料は残っていないが、1000年以上前だ。きっと途中で命を落とした者もいたに違いない。よほどの強権があったのか、人々の信仰が強かったのか。
長年の願いがようやっと叶った。
行きたい、見たい、と思ったものが肉眼で味わえる喜び。
あんな場所にお堂を建てようと人々に思わせた「なにか」は、信仰心の薄い自分には分からない。ただそんな苦難をやり遂げた先人たちへの敬意を強くする。
歴史を学ぶ意味、その足で現地へ赴きその目で直に見ることの楽しさと有り難さ。これは信仰心ではないが、純粋な思いであることには違いない。
大変だったけど、頑張って来て良かった。
マジで良かった。
帰り道、山は下るほうが危険だという。
登るのも大変だったのだから当然だが、楽な道はひとつもない。登山には体力だけではなくテクニックも必要なのだ、な。
途中で待機していた母親とも無事合流し、ドロドロになりながらもなんとか下界へ帰還。前後に雨が降っていなくてよかった。
下山時刻を受付所に届けて、輪袈裟も返却。
入山前はさんざ脅してきた受付の人も、心なしか表情が明るい。そう見えるだけかもしれないが。
門前茶屋『谷川天狗堂』にて栃餅とコーヒーをいただいた。実にモチモチで美味。
なお、三佛寺からすぐ近く、麓から望遠鏡で投入堂を見ることが出来る遥拝所(ようはいじょ)がある。時間がない人や危険な参拝道を登れない人はここから見上げると良いだろう。
帰りはまた、中国道をえっちらおっちら、眠気と戦いながら走る。両親ともに、かなりの疲労具合。
生誕記念・一泊二日鳥取デンジャラス国宝旅行はこれにて終了。
お疲れ様でした!
お付き合いサンクス!!
おまけにきれいな山野草などを。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?