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ことば だいじに

高校生くらいの時、ハードボイルド小説にどハマリして、読んではそのかっこよさに身悶えしていた。
特に好きだったのが、原尞『そして夜は甦る』から始まる私立探偵沢崎シリーズと、藤原伊織『テロリストのパラソル』。どちらの主人公もすこぶる渋く、おいそれとは表に出さない不器用な優しさがシビれる。

その原尞氏が今月の4日に亡くなられたと訃報を聞き、とても悲しい。
一方の藤原伊織氏は今から16年前、2007年に死去されている。
どちらも寡作と言っていいだろう。本として世に出ているのは10冊程度、そして今後も増えることはない。非常に残念なことだ。

帯にあるように藤原伊織氏は、推理小説作家の登竜門・江戸川乱歩賞と言わずとしれた直木賞をW受賞した前代未聞の作家である。
その後はガンに冒され活動期間は20年ほど、…しかしきちんと評価されているし、代表作『テロリスト〜』の他にもドラマ化した作品もあるし、「不世出」というのは相応しくないんじゃないかな?

そう人前で言ったところ、いやそんなことはないでしょう、確かに彼は「不世出」な作家だったと思いますよ、と返された。

え?「不世出」ですよ?

ええ、「不世出」です。

話のオチは簡単に見当がつくと思うが、そのとおり。
自分は「不世出」の意味を「世の中に出てこれなかった、不遇な天才」のように思い込んでいた。
本来の意味は以下の通りである。

ふ‐せいしゅつ【不世出】
〘名〙 世にまれなこと。まれにしか世に現われないほど優れていること。

出典 精選版 日本国語大辞典

あ、あー!ナルホドね!そういうこと…!
つまり藤原伊織氏はこの世で他にいないくらいすごい作家だ、というわけだ。それなら分かる。表現としては正しい。
はい、彼は「不世出」の作家です…。


今回指摘される今の今まで、「不世出」の意味を間違えて覚えていた。恥ずかしい。教えてもらえてよかった。
こうした意味の取り違えは、しかしその実、結構ある。
良くある間違いの例としては、「役不足」ではないだろうか。

「役不足」とは本来は「役不足している」、つまり本人の能力に対して、役目が簡単すぎることを指す。
能力のある人が下っ端の仕事に任じられ、仕事のほうがその人の力量に見合っていない時などに、「◯◯係ではあの人には役不足だ」という感じで使用する。
これを「荷が重い、本人の能力が足りない」と反対の意味で誤用することがしばしばある。
もし「役不足」の対義的に表現したくば「役者不足(役者不足している)」となるだろうが、あまり正しい言葉とされておらず、「力不足」と表現したほうが分かりやすく正確だろう。

ほんの一例を挙げたが、きちんと確認せず、いい加減な当て推量で言葉の意味を捉えるから、このような失敗が起こる。
表面の姿かたちや雰囲気だけで言葉を弄べば、その報いは必ず自分に返ってくる。今回のように恥をかいたり、あるいはとんでもない誤解を生んだり。SNS上での炎上なども多くは、この手の言葉の意味の軽視を発端としているのではないだろうか。
ふとした発言が多くの人の目に触れることもある昨今、今一度その言葉の意味を発する前に、それが正しいのか、相応しいのか、もっと考えた方が良いのではないだろうか。
一人の作家の死に考えた夜、であった。

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