宗教という概念
ちょっと前にNFTに対して宗教だと騒いでいることがあった。
それについては「イケハヤさん」や「しゅうへいさん」、「imotoさん」などなど数多くの人が言及していた。
日本のNFTのトップを走り続けているこの方達の意見に僕は同意する。
そもそも日本で「○○は宗教だ」と言われるのって
オ○ム真理教のようなイメージを持って言っているんだと思われる。
要するに、何か怪しいことをしてお金を儲けて、自分たちだけ幸せだと思われるような集団のことを指しているのだろう。
で、NFT界隈は決して上記のような宗教(集団)ではない。
外側だけ見れば、確かに投機目的の人が儲けました、損しましたと騒いでいて、騙されたといえばそう映るだろう。実際にそういう現場もあった。
でも、NFTの内部の人はそんなことに全く興味がなく、ただ単純にNFTという作品やブロックチェーンという技術を楽しんで、今までできなかった自分の作品を商品化しているだけだ。
ギャンブルの要素ではなく、普通に商売をする場所がブロックチェーン上だったというだけだ。
西野さんやイケハヤさんなどその界隈の人たちは、
この技術が確実に未来に必要だと思っているから今のうちに触れて理解しておかないとと思っている。
いろいろな人を巻き込んで一緒にやってくれる仲間がいた方が、効率がいい。だから常にNFTの話をしている。
外部の人は、NFT仲間を集める姿が「搾取する相手を集めている」ようにしか見えないのかもしれない。
僕はNFTを作っているわけでもないので内部の人間ではないが、
voicyパーソナリティの話を聞いていればどんな思い出NFTをやっているかわかる。その大変さも楽しさも共有してもらえてるのは本当にありがたい。
投資家でもないので全く応援はできないが、陰ながら応援させてもらっている。
何にしても表面だけでなく、深くまで見ないとどいういうものか理解するのは難しい。
いつまでも
知らないもの=怖いもの
ではいけない。
Threadsやろう。