ヴァイオレットエヴァーガーデン13話+映画版を考える(ネタバレあり)
海老村です。
今回はタイトルの通り久々にアニメをどっぷりと視聴し、感動して号泣したり愛について色々と思ったことがあったので、感想と考察、僕なりの世界観を通じてこのアニメを総評したいと思います。
結論
点数:10点満点中 アニメ5点、映画版2点
総評「結局ちんぽエンドかい」でした。
説明させてください。
概要
まずこの作品のテーマについて考察したいと思います。
僕が感じたこの作品のテーマは「愛」です。
そしてその「愛」には様々な種類があります。
家族愛、友情の愛、死後の愛、兄弟愛、庇護欲、見守る愛、性愛
そういった愛の形はまたさらにその中で複雑な情によって構成されている
この作品は、そういった様々な形の「愛」を、孤児であり恵まれない環境で愛を知らなかったヴァイオレットが様々な人と出会い、代筆の中で学んで成長していく過程で、ヴァイオレットを拾い育ててくれたギルベルト少佐が最後に言ってくれた「愛してる」という言葉の意味、愛を知る物語かなと私は感じました。
だ け ど
最終的に描かれた一番大きなヴァイオレット自身の愛の結末。
そもそもギルベルト少佐がヴァイオレットを拾った時はまだ10歳、共に歩んでいたのが14歳ぐらいでした。そして少佐はヴァイオレットに対する罪悪感や庇護欲、家族愛の様なものを感じているような描写がありつつも、なーんとなく性愛的な感情が見え隠れする描写が常にありました。
「美しい」とか、その距離感とか、なんかそういう所がちょっと気になっていて、性愛を超えた美しい愛が正当化の為に使われてないかな?みたいに思う所があったんです。
そして結局のところ映画版、死んだと思われていたギルベルト少佐は生きており、最後海のシーン、ヴァイオレットを抱きしめながら
「ずっとこうしたかった」
というセリフでその後くっついてエンドみたいな感じです。
どうしても・・なんかこのセリフがもうどうしても自分は気味が悪くて、今までの素晴らしく美しい「愛」をテーマに描かれてきた物語が、ジョロジョロに崩れて陳腐化してしまって見えてしまったのです。そして映画を観た後と前では同じ話でも感想が結構変わってしまいました。
良かったシーンなど感想
・4話のアイリスの失恋からの仕事、両親への愛
同じドールのアイリスは田舎の生まれで、両親は田舎に戻ってきてほしい、そして田舎には以前フラれた相手もいるという状況で、ヴァイオレットのお陰で強がっていた自分から素直になり、家族への愛を手紙に書き、失恋も力に成長していくという普遍的な無性の愛みたいな家族愛を感じたいい話でした
・5話のシャルロッテ王女の結婚の話
政略結婚ではなく純愛として書かれていたこの話、最後に召使のアルベルタが王女を見送る時はもう号泣で川できてたんですが、これもちょっと映画を見終わった後評価が変わりました。
みる前は純愛だと思っていたものの、これ王女がまだ10代前半ぐらいで、相手は10歳以上上の別の国王子です。時代的にこういう時代なんだと思いながらも、少しこう小児性愛的な要素を感じていました。
そして映画を観た後、これは結局ヴァイオレットが少女であり、その設定を正当化するためにこういう時代背景で少女との恋愛は普通だよと言ったように貼りたかった伏線だったのかなーと思ってしまい、アルベルタとの美しい「情愛」みたいなのもうーん、なんだか、、と感じてしまいました。
・10話のアンとお母さんの話
「死後の愛」ということで、H&Hの死後続く念かよって感じのね、このタイプの話が3回ぐらい出てくるんですが僕が本当に泣いてしまう系の弱い話です。母親は病気で死んでいなくなるのがわかり、娘に50年分の手紙を書くためにヴァイオレットを呼んだ。母から娘へ、自分が死ぬ間際にさえ愛を残した美しい愛の話でした。
・映画版ユリスの話
これは「友情の愛」だと思います。この話でもユリスという少年が死の間際、病気に苦しむ姿を見せたくないと親友のリュカの見舞いを断るんですが、家族含めリュカにも最後の手紙を書く話です。これも号泣でもう嗚咽嗚咽でしんどかったです。本当に美しい愛だなぁと。
こういう「美しい愛」がたくさんこの作品には詰まっていて
ヴァイオレットが様々な愛を知っていく過程がすごく美しいし感動するんです。そういう面では本当に良かったし涙を流すシーンが沢山ありました。
ただ、その中で色々と気になった点は上述したように小児性愛的な面など、何個かありました。
気になったシーン、設定など
・なぜドールには女性しかいないのか。
「愛」をテーマに描かれているこの作品、とは言いつつも男性のドールは出てきません。そしてメインに出てくるドールはみんな少女で、たしか成熟した年齢のドールは出なかったかな?ここがなんとなく引っかかっていました。相手の意図を汲み取るというなら、成熟して人生経験も豊富な人の方がいいだろうし、男性の代筆が良いという人だっているはずではと思ってしまいました。
・最初に会った人ほぼ全員に「人形みたい」「美しい」と言われる
ヴァイオレットはほぼ全員初対面で美しいと言われています。別にこれ普通に美しいんだからなにも気になっていなかったんですけど、映画を観た後なんか気味が悪くなってしまったというか。要は初対面なので外見的な「美しさ」を見て美しいと形容してると思うんですが、この作品は内面的な「美しさ」を凄く表現してると思っていて、成長とか愛の形とか、少佐と大佐の兄弟愛だってとても美しかった。それなのに、美しいと毎回のように繰り返されることで、最終的に結ばれるギルベルトへの伏線のように感じてきてしまいました。少女だけどこんなに美しいならみたいな、正当化する為の評価のようにも感じてきてしまい、なんだか気味が悪くなってしまったのかなと思います。
戦争や貧しさ、恵まれなさみたいなところから成長するという美しさや、様々な美しい愛の形を表現してきたこの作品ですが、こういった所で引っかかることがあり、最終的に結ばれた少佐の言葉
「ずっとこうしたかった」
という言葉から推察できるに、10歳で出会った頃からかわからないですが、昔からこういう風に抱きしめたかったのだという意味が考えれられてしまいました。
・肉体的な愛を感じてしまう
もちろんギルベルトも庇護欲や恵まれなさに可哀想とか、道具にしてしまった罪悪感とか諸々あると思うんですが、男性が出てこないドールの世界、美しさを強調されるヴァイオレット、出会った時が10歳であり「愛してる」と伝えた時が14歳だったのを考えると、どうしても小児性愛的な側面を感じてしまって、色々と素晴らしい死後の愛や家族愛、兄弟愛といった「美しい愛」と「肉体的な愛」という二元論で考えてしまうように。
・そもそもこのギルベルトの生存は、ちょっと都合良すぎる
ギルベルトの死が、ヴァイオレットの成長や物語の展開にとって重要な要素であったにも関わらず、その前提が覆されたことによる違和感。ヴァイオレットが過去のトラウマから解放され、自立していくという物語の重要なテーマが曖昧になったって感覚もある。
上述した様々な要素を集約して最終的に洞察した結果の総評が
「結局ちんぽかい」
ということでした。
最後に
この作品のおかげで、自分の「愛」に対しての考えがより深まったなあと感じます。特に僕は情愛的な物が好きで、他人がすごく仲良くしてるシーンとか、スポーツ漫画とかの絆みたいなのに感情を揺さぶられます。
自分が追い求めてる「愛」ってのが、同性でも、異性でも、同性愛とか、異性愛とか関係なく、普遍的な繋がりみたいな、成長できる関係や死んでも相手を思える愛。そういう面で自分が中村春菊先生のBL作品を読みだしたり、やがて君になるというGL作品を見ることにも繋がり、そういう作品でセックスシーンが出てくるとうーん・・・となってしまう理由にもなっていると感じました。
結局肉体の愛なんて歳とれば終わるし、外見なんて生まれた時にウィザードリィで与えられたステータスなだけでただの運だと思っていて。だからこそ後天的に得られた自信や培った知識だけが自分を肯定できるし自信になると思ってて、外見的な愛や肉体的な愛をしょうもないと感じる理由でもあります。
自分はバイセクシャル的でありながら、性が絡むとアセクシャル的になるし、高校生から恋愛何度もしてきたけど、未だに付き合うっていう意味がわかる感覚がなくて、これは今後まだまだ洞察していかなきゃいけない領域だなあと思います。
以上海老村のヴァイオレットエヴァーガーデンを観た感想でした。