不死身の猫のなかみ
猫にはさまざまな逸話がある。8つに別れたしっぽをもつ猫は、神の使いである。神そのもの。化け猫。猫の姿をしているナニモノか。猫また。
猫が、不死身になりやすいのには、理由がある。
猫は魚を本能的に狩るものだ。
猫は、その魚が、上半身がなにやらおかしくて人間と呼べるカタチをしてようが、お構いなしに鋭いツメとキバでざっくざっく。そうして仕留めた獲物を食うと、また一匹、猫の妖怪と呼ばれるモノが増える。
人魚も魚であるから、へたに日光浴なんて浜辺でヤッていると猫の餌食にされるのだ。
人魚を食って不死身になった猫は、ながい年月を経るうち、言葉を覚え、当世の常識を学んで、ほんとうに現地の生き物よりも賢くなる。神にちかい、猫また、または化け猫の仲間入り、である。
正体にしてはじまりは、一匹の猫の食欲であり、生存本能であった。
そこに、永遠への渇望、欲望、当世でいうところの人間臭い欲望まみれのドロドロした感情は、一欠片もない。
人魚に出逢えるモノの資格は、満たされていた。
神に近づくのをよしとされる資質を満たしていた。
猫は、だから化け猫や神使になりやすいのだ。
人間はいまだ、妖怪になれず、人魚を食えず、寿命をのばすための食事法だとかストレッチだとかに励んでいた。
いつか、人間の妖怪も現れるのかしら、猫また、または化け猫は、人間に飼われる猫のふり、地域に可愛がられる地域猫のふりなんてしながら、人類ぜんたいを俯瞰して、神なる視点から、私たちのそばで当世を満喫している。
END.
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