人魚の涙と愛された勇者の行方

人魚のエタールが涙したとき、咄嗟にファンデンは右手の指でその水滴を受け止めた。人魚たちの棲むサンゴ礁を王から守り、この海の保護を確約する令状をもって帰還したファンデンは、はじめて人魚たちにとっての親しき隣人となれた人類だった。

ファンデンは照れくさそうに笑い、涙に濡れたその指で自分の鼻をこすった。

鼻の粘膜に、不老不死と謳われる人魚の体液がこれすた……のかもしれない。ファンデンは人魚のサンゴ礁から遠く離れた地で大剣を片手でひすぎり、反対の手では鎖かたびらに突き刺さった矢を抜いた。矢じりは、血に濡れて黒っぽく変色している。

まさに、ファンデンの心臓を射抜いた、渾身の一矢であるばずだ。ところが、心臓にグサリッと衝撃は受けたが、ファンデンは猛進を続けて大剣によってゴブリンたちをなぎはらった。洞窟を占領していた一個師団がファンデンによって駆逐された。

戦いが終わり、ファンデンは胸に刺さった矢を抜いた。そうしてサンゴ礁とそこに棲まう人魚たちの美しさを回想した。夕焼けの美しさが海に滲む、優しい思い出だった。

エタールは、涙ながらに懇願をしたものだ。

『どうかこの地に留まりください、気高きファンデン様。わたくしの心をお持ちのファンデン様。エタールは、いつまでも貴方様のご帰還をお待ちしつづけます』

不老不死の人魚……、人類にそう囁かれては狩りの対象とされる、人魚たち。

ファンデンは若き猛る男であり、冒険心がはちきれんばかりの肉体を突き動かす男でもあった。しかし、ファンデンは、人魚の涙を思うと故郷を思い出したかのように胸が締め付けられた。人魚の涙。自分は今、それに命を救われたのだ、どうしてか実感する。

しばらくしてファンデンの武勇伝は途絶える。

勇者がひとり、姿を消した。けれど代わりに、人魚たちのサンゴ礁にはちかごろ、魔物や人間から人魚を守るべく立ちふさがる、人魚の番人が住み着いた、という。エタールと呼ばれる人魚は、毎日その番人に魚や貝などを届けて女房のように、甲斐甲斐しく世話をしたとのことである。

やがてエタールは身ごもった。産んだ子供は半分が人魚、半分が人の子であった。エタールの子どものうち、人の子の方は、かつての大陸の勇者のように勇敢で強く、しかも異常に頑丈でキズの治りも早く、ある男児などは200年も生きたそうだ。エタールの子孫たちは国に代々、その名を残すほどの勇者になって、人々の記憶にも人魚の生命力ほどに強く記憶されていく。最初のたったひとり、ファンデンだけはエタールの記憶にだけ、永遠に刻まれた。人類史に残らなかった、その代わりのようにして。


END.

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海老ナビ
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