被虐のルリグから、手紙が届くと、貴方は来た
「渡してくれませんか」
出会いがしらに、少年は笑顔で両手を差し出した。出勤のためマンションの自動ドアからでたばかりの会社員は困惑する。
少年は、笑みを絶やさぬまま、続けた。
「ぼくの妻の手紙なのです。誤配達というやつです。手紙に、硬質な破片が入っていたでしょう? 異物混入です。不良品なのです。ですので、回収させていただきにまいりました」
「え……、と。……妻?」
最初のワードで思考停止が起きる。会社員は20代後半の女性、少年は、まだ中学生といっても差し支えなさそうだ。
大人びてはいる。垢抜けた眼差しが。パーカーを着てスニーカーのスポーツスタイルではあるが、会社役員のランニングすがたといつても遜色ない風格があった。
上品にして、存在感が、あるのだ。
「はい。今すぐお願いします。次の手紙も回収しにいくもので」
「……まだ開封してもいないんですが……」
「それならよかった。なおよかった! お手間をおかけしますが、持ってきてくださいませんか?」
笑みが、横柄なものに見えた。
変わっていないはずなのに。
会社員はしかし、威圧されて後退りする。少年から圧迫されて、すると自動ドアが開いた。
遅刻してしまう。会社に。
しかし、切羽詰まった危機感、奇妙なシグナルが脳内にて点滅する。
「わ、わか、り、ました」
「ありがとうございます!」
にこにっこ、人好きのする笑顔は、ひとなつっこい。けれど、今やぶきみに思えて会社員は身を翻して早歩きで部屋に戻った。
昨晩、届いた手紙を手にする。玄関に置きっぱなしだ。手書きで自分の名前が書いてあって、しかし覚えはなくて、奇妙だったから、土日になったら開けるつもりでいた。
「…………」
会社員、は、しかし。
魔が、さした。
好奇心、怖いもの見たさ。
……そろ、と手紙の封をめくる。少しだけ破ってなかを取り出した。簡潔な手紙であった。
『たすけて。声が出せないからテガミにしました。たすけて。たすけてください。お礼はこのウロコです。いま、わたしがいる場所は、』
「お姉さん」
「!!」
ふりむけば、玄関のドアは音もなく開かれて、例の少年が立っている。
そこに笑みはあるが、仮面のよう、口元も瞳もまったく一欠片も笑ってはいなかった。
「世の中、触れちゃいけない世界ってもの、あるんですよ」
冷ややかな声、を、最後に、会社員の記憶が途絶える。なにか音はした。風が迫ってきてどさりと倒れる音。
会社員は、聴覚を最後に残して、それから、先は、闇であった。
END.