見えざるマイル、牛角で焼き肉を食べる。
初めて肉を食う。牛の肉を。
かつて、牛肉は食べるのが禁じられていて、しかし薬という名目で金持ちたち、上流階級だけの嗜好品であった。
だが、文明開化の折り、牛肉は民衆に解禁された。牛すきが流行り、農耕民族は労働力であり相棒であった牛たちを、食べ物を見る目で見るようになった。農耕民族の終わりである。イギリスでいう産業革命。
「本当にオマエ、100年前から来たんだな」
『ふえ?』
ヨダレを垂らしながら、牛肉が焼けていくのを見つめる自分。ヨダレを手の甲で拭って、少年は一人焼き肉であるのに喋りかける。
「焼き肉にこんなに動悸がしてるオレの体がやべーッて。ここ、牛角だぞ? 庶民焼き肉。オレの稼ぎならもっと……ああ別にオマエに贅沢させてやりてーとかじゃないからな」
『お肉、お肉』
「話きいてねぇな」
『高級品だったんよ、うち、手が届かんし、死んじまうし、人魚の肉いって腐肉食わされたんが悪かった。こげなイイ匂い嗅いでたら騙されたうち、まるきりバカやね』
「いまさら気がついたか」
牛肉をびっくり返し……、とりあげてタレにつける。
少年は身軽に肉をくちにした。
が、くちのなかが、そばだって肌はトリハダを立てた。ぞわわ、ぞわわ。初めて食べた牛肉に魂が感動している。
体に憑依を許してやった、女の幽霊の、魂が。
「……オマエ、興奮しすぎじゃね?」
『うんまーーーーーーー!!!!!!! なにこ、なんなん、うま、汁じわじわくる、うっまーーーーーい!!!!』
「牛肉でビストロすなよ」
言いつつ、手を伸ばしてレモンダレにつけてからくちにする。またもトリハダが立った。
『うんにゅ〜〜〜〜っっ!!!!』
「……スーパーで高い肉買えばこんくらいの味よりウマいんじゃねえ?」
『うみゃ!! みゃ!!』
「聞けよな」
焼き肉を焼いては、食べる。そして独り言を。
通路を行ったり来たりの店員が、奇っ怪な目つきで少年を値踏みした。コイツ大丈夫か、の目であった。
少年は、頬を少しだけ染める。恥ずかしくなったのだ。
「マイル。オレに、感謝しろよ。事故物件にさぁ、住み続けてさぁ、オマエにメシまで食わしてやってさぁ、オレのからはさぁ、」
『わかっとる。ニシキ、おまえは!』
「…うん」
錦の目が、ほんのり期待に輝いた。肉のタレを継ぎ足しながら落ち着かなさそうにハシで肉を突っつく。
『……うちの魔女だわ!!』
「お、と、こ、オトコ扱いをしろよテメーは!」
ハシの先っぽが、炭火焼きの金網にめり込んだ。握りばしをして自分に怒鳴る錦に、やはり、店員は妖怪を見るように視線を送った。
錦は、一瞬だけそれと目が合う。向こうがすぐにそらした。
ふん、根性なし、錦が思うと、
『なんて?』
マイルが尋ねる。
「別に。んで、マイル、オレのカードにマイル貯めてやるついでだからな? コレ。別にオマエのために食ってるわけじゃねえから」
『知っとるよ。うち、死んでるもん!!』
「…………」
錦が、表情を歪めたが、卑屈と哀しみに引きつるが、そんなものは、憑依した幽霊からは、見えざるものだった。
END.