漬物石のなりあがりと破恋の話

「ああ、3人も風邪だぁ? だらしねぇ、三食たんと野菜も魚も食ってンのかぁ?」

ぶつくさ、文句を垂れながら長屋の主人は床板を外して地べたに埋蔵してあるカメを目で確かめた。妻がやっぱり今日もやっている。

目当てのものを持ち出すと、早朝のあおばんだ空気に包まれながら畑の手入れをしている妻が、曲がった腰を立ちあがらせようとした。アンタぁ、それ、どーするん?

「そん漬物石、人くらい殺せるで。アンタぁまさか……」

「バッキャロイ!! 重石にするんだ、借りるぜ。なんせ船にゃ俺ひとりだからな。転覆してドざえもんたぁ笑えんわ」

「そん漬物石、もう10年も愛用してるけ。大事にしなんせよ、漬物石つうてもここの畑のそこに埋まっちょった大石だけどもな」

「借りる言うちょるや!」

だが、妻のくちうるささ、つまり妻の勘の鋭さは伊達じゃあなかった。小舟に自分と漬物石をどげんと載せて沖に出て、魚釣りをはじめて、まだ日も登りきらないうちに。

ザッパダバダー!!

大波が乗り物を揺すり、漬物石が小舟の隅に寄ってしまい、呆気なく葉っぱのような舟が傾いた。釣り師の判断は早く、漬物石をグワッと片手で握ると、10キロはあるそれを海に放り投げ捨てた。

「うお! あぶね!!」

舟が、波に揺れる木の葉になった。それも数分間。男は、揺れがおさまるとともに嘆息する。安堵と不安が妻の怒り顔を連想させた。

「やべぇー。漬物石、探さんとにゃあ。くわばらわくわばら……」

まじないを唱えるが、男に妻の雷は直撃した。まぁ、棄てられた漬物石には、関係ない与太話である。漬物石はドンドコ沈んでどんどん海溝を転がってダカダカダカ、ついには海のそこの砂地を攫いながら胴体着陸して、苔むしていき……、それまで。

それまでの筈だった。

ところが、漬物石は、ひょいっと軽々しく人間の両手そっくりなものに持ち上げられた。

怪力の主は、地上ではお目にかかれないほど豪奢な数メートルはあろうという、プラチナブロンドの髪の女だった。しかし下半身はクジラの腹であって、尾ヒレがあって、海の怪異であった。

女の怪異は、やはり人間そっくりなハダカの上半身に漬物石を抱き込んで、くんくんくんくんくんんん、石に額をうずめる。そして、彼女のことばでなにやら叫んだ。

「ムノユタムムソトトネ!!」

大小の差はあれど、似たような怪異がやってきて、やっぱり漬物石に額をうずめた。すんすんすんすん。匂いを嗅ぐ。

地上の漬物石の旦那の奥さんなら、猫が好きだから、「おや猫吸いしちょる?」なんて質問をしたことだろう。漬物石にほんのちょっぴり残滓みたいに宿りつつあった九十九神が奥さんの顔を思い出した。ああ、あのころ、なんて大事にされていたんだろう、と懐かしんだ。

漬物石は怪異に驚きはしなかった。なにせ自分も意思ある石みたいで、化け品の類だ。

怪異たちは、すんすん、くんかくんか、漬物石をかわりばんこに吸っては騒いだ。そして最初のクジラ腹の人魚が漬物石を片手でボールみたいに持ち去っていった。漬物石はこうして第2の生活をスタートさせたのだった。

猫吸いならぬ、石吸い、世にも不思議な嗅いだことがない、酸っぱくてくさくてちょっと美味しそうな鼻をくすぐる特別なニオイがする宝ものとして、成り上がり生活はスタートするのだった。

あの、クジラのような、数メートルのプラチナブロンドヘアーの怪異が、特に漬物石を気に入った。ニオイを堪能しながら、漬物石を指でなでる。怪異たちがみんな撫でるから、いつしか漬物石の皮膚はつるつるぴかぴかだった。

漬物石はある日、あらま、なんだか大出世をしてねぇかいオイラ? などと気がつき、ハッピーエンドである。人魚たちの宝もの、変わったニオイが染みついたぴかぴか石が、さらに神格をあげてきちんとした九十九神になれた由来の話でもある。

その神様は、人魚たちの守り石である。と同時に今もときどき思い出す、忘れられない奥さんがいて、漬物くさかった。

守り石になるまでの数年間で、旦那の奥さんは新しい漬物石を見つけたものの、前の石のが好きだったわぁな! など言い、旦那を困らせたりしている。両思いだったのである。

2度ともう出会えない、九十九神と奥さんの淡い恋のような、別れのお話でもあったりするのである。


END.

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