捨てた森の海の魚子
古来、忌むべき習慣として姥捨て山なるものがあった。この山もまた働けなくなった、動けなくなった、喋れなくなった、などのご老人を何十人、もしかすると何百人もが捨てられてきた。
しわしわの老人を山の頂上近辺まで背負って、あるいは面倒くさがる場合は山の入口の茂みなどに寝かせて、姥捨てにきたものは逃げ帰る。あとにのこされる高齢のおんなは、ただぼうぜん、あぜん、途方に暮れて自分の死が歩いてやってくるのを待つしか無い。
ところが、この山ではちがった。
この山は、西側のふもとが海に面している。海からあるモノがやってくる。それらは、はじめは、人間たちという、自分たちと上半身だけではあるが共通点のある動物がなんでこんなことをするのか、よくわからなかった。
けれど姥捨てが増えるにつれて、ああ、捨ててるんだ、とそのまんまを理解した。
それらは、憤った。
憤慨した。
その山では、姥たちにふしぎな現象が起きる山となった。目が見えない者はなにやらべちゃべちゃしたものに手をつかまれて、喋れないものはなにやら言葉を一切くちにしないふしぎな人間に手招きされて、四肢のいずこかが麻痺している者は、ふわり、と抱き上げられて。まずは、海に面したふもとまで運ばれる。そこで、海の幸などをふるまわれた。
客人として丁重にもてなされて、さすがに冬ともなれば寒さは厳しいので山小屋まで建てられて、姥捨てされたお婆さんたちの集合場所となった。お婆さんたちの集落。たまたま、そこにでくわした若者などが、「や、やまんばの里じゃあ!!」と叫んで逃げたり、やまんば伝説が広がったりするなどの珍事はあった。
傍目にはそれも仕方がない。目に洞(ほら)があって空洞だけの人間のような人間でないモノたちが、お婆さんの世話をやっている。彼らは海からきて海へと帰る。姥捨て山の山小屋でそのうち気力を取り戻すお婆さんが現われると、お婆さんは、今度は彼らに山菜などを採ってきてごちそうした。
そんなふうに生活が営まれた。
人間とはふしぎなもの、と、それらは認識していた。
そしてその認識どおり、産気づいて出産までするお婆さんが現われた。産まれた子どもは女の子で、手足にちいさなひれがあり、人間と人魚の混血児だった。
彼女は、魚子(さかなご)と名づけられた。
それ以降、集落は魚子によってとりしきられて、山の西側近辺にある村々との貿易などが彼女によって始められた。暮らしはますます豊かになったそうだ。魚子は、それはたいそうな美人で、しかし生涯、結婚はしなかったという。彼女はいう。
「男は年老いたおんなを捨てる。最悪じゃ、わしは信用せん」
そして、彼女が年老いたそのとき、時代は明治になって姥捨て山の慣習は時の政府に禁じられるようになり、魚子は、海に帰った、と、いう。
END.
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