猫の一因
にんげんのほうが、嫉妬深いかもしれない。
にんげんの、ねこか、については。
「3びき目の猫です」
猫2匹にならんで転がって言えば、好感度は下がる。簡単にあっけなく。それほど人間が猫になりきるのはギルティだ。
「猫化」なんて遊びも若い子限定、猫は純粋にちっちゃいから、それこそ猫になって遊ぶのが許されるのは5歳児の大きさくらいまで。「3びき目の猫です」が許される年齢を考えてたときに結論づけた。
が、
いがいと
ねこには、さんびきめのねこだね
と見られているかもしれない。
家にいるにんげん、猫のサイズ違い程度におもっているようだ。
こんなふうに感じるヒトコマがあった。
人間をなんの抵抗もなく横に受け入れて、さらに2匹目もやってきて間にぬるりと入ってきて、そのまま横になる。横になる猫たち。まぎれこんで受け入れられている人間。あれ私って猫だったっけ。ナチュラルに錯覚できてしまった。
リビングにて。
あれ。
誰かに怒られないかな。
思わず、思ってしまう。誰か。そう、私は、誰かの目を気にして、ずっとその仮想・ダレカに遠慮して「3びきめの猫です」はギルティと判断していたのだった。
受け入れてもらえること、って幸せだった。猫化をかたくなに否定する心も雪解けしてしまう。
あれ。
私って、なにを気にしていたんだろ。
平和をせつせつ感じ入りもする。
否定せずに猫を楽しむことの楽しさも知る。
猫化、いいじゃない。
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