ドラマ『地獄が呼んでいる(シーズン2)』(Netflix)
Netflixに加入してすぐに見たのが『地獄が呼んでいる』だった。最近になってシーズン2が出たので、ちびちびと6話を見たので、その感想を書いておきたい。
(あらすじ)
異次元から出現する3人の怪物(魔物というか悪魔というか)が、対象となった人間をふっとばし痛めつけたあとに、手から出した光線のようなもので焼き殺す。この超常的な現象は「試演(シーズン1だと試演、シーズン2だと実演)」と呼ばれ、試演には先だって「告知」が伴う。試演によって殺される人物は、中空に出現した幽霊/幻のような顔から、名前を読み上げたあと、試演の日時を予告されるのだ。告知→試演→死は避けようのない現象で、人びとは、この超常的な死の意味と理由を求める。
(シーズン1)
シーズン1では新真理会と教祖チョン・ジンスが、告知と試演を「神による罰」と解釈する。試演をネットで中継することで、神の威力を示し、神の言葉を解釈する自分たちの地位を築いていく。一方、生まれたばかりの赤ん坊まで告知を受け、本当に「神による罰」なのかという疑問を抱く人も出てくる。過激派集団の「矢じり」や、告知を受けた人へのネットリンチや死後の名誉を守るために協力する組織・ソドが登場する。
(シーズン2)
シーズン2では、チョン・ジンスが失踪(実際は試演で死亡)した後の新真理会、新真理会の正統性を疑う矢じり、試演を生き延びた赤ん坊を保護したソドの3つの組織が、告知・試演の意味・解釈をめぐり、権力闘争をしている。実は、試演を受けたものが蘇る「復活」という現象も報告され、新真理会は(シーズン1で試演を中継した)パク・ジョンジャを、「本当の」神の意志を伝える復活者として利用しようと画策する。同じく(シーズン1で試演で死んだ)チョン・ジンスも復活するが、ソドに保護される。ジンスはソドの元から逃走し、矢じりと接触する。「神の意志」をめぐって、新心理会、ソド、矢じりが三つ巴になる。そこに政府が、社会の安定のために三つの対立を二つの対立に組み換え、互いに牽制しあう環境をつくるべく暗躍する。
(感想メモ)
シーズン1を見てからけっこう時間が経っていたので、誰がなんだっけ…?と思い出すのに時間がかかった(これは本筋と関係ないが)。シーズン1と同じく、告知・試演という超常現象(強烈で暴力的、偶発的な死)を「どう解釈するか?」が、組織の権力基盤につながる。突き詰めていくと、共同体の境界画定、〈私たち〉と〈あいつら〉の区別をつけるには、偶発的な死者をどう解釈するかが根本にある。アガンベンの「ホモ・サケル」を連想した。ホモ・サケルは「殺害可能かつ犠牲化不可能な生」とされる。試演の対象者は「犠牲化」なのでは? と思わなくもないが、「何の犠牲なのか?」が言う人(組織)によって異なるので、「これのための犠牲になった」とは言えないのではないか。(犠牲化可能な生、とは超越的な意味が付与される死のことだろう。対して、犠牲化不可能な生とは、規則にこびりつく例外でありつづける生のことだろう。)
それぞれの組織が復活者を抱えて権力闘争の源にしている。シーズン1ではわりと「正義」に見えたソドという組織も、反新真理会の「ための」権力欲を隠さない。それを見透かす政府中枢は新真理会vsソドの緊張関係を演出することで、アナーキーな矢じりの排除を目指す。首相秘書官は、はっきり「二大勢力による均衡」と言うが、朝鮮半島の政治状況のメタファーである。もっというと、(最近、ジジェクを読んだからだが)「対象a」というか、二項に敵対関係ではけっして到達できない「何か」を、AとBの無限の対立が指し示している、とも言える。
矢じりという狂信的配信者集団も面白い存在。ハイシンシャは「背信者」ではなく「配信者」。「本物の」神の意志をもとめて今日もネットで配信する。ジンスが不在のあいだ、新真理会による「神の意志」の独占を許さない。配信者のディティールが、けっこう好きである。エキセントリックなメイキャップをしているが、配信の尺やら演出やらを工夫し、「カンペ」すら出している。新真理会より、ソドよりも、組織ではなく神のこと(真実?)を考えている。「マジメ」な集団である。
(ネタバレ)
(ネットの記事で読んだのだが)原作はウェブトゥーンで、シーズン1のラストシーンはドラマ用に付け加えられたものらしい。シーズン2へと続いたが、ではシーズン3には続くのだろうか? シーズン2の最後では、未来が見えるジョンジャは「世界は終わる」と言い、大量の告知がそこここで行われる。ドラマ『地獄が呼んでいる(シーズン2)』(Netflix)