Qとは何かーーウィル・ソマー『Qアノンの正体』(河出書房新社)
Qアノンの存在については知っていたが、こんなふうになっているなんて知らなかった。現実は想像以上に恐ろしく、ジャーナリズムに分類されるこの本が、フェイクドキュメンタリーであって欲しいと思うほど、深刻な事態が進行しているのだとわかった。
Qアノンとはアメリカを中心に広がる陰謀論である。「民主党やセレブなどのエリートは、児童の人身売買をし、悪魔的儀式で虐待、人肉食をしている。神の代理であるトランプが「嵐」をおこし世界に平和をもたらす神の国を作るだろう」と主張している。この主張は最大公約数的なまとめで、細かいバリエーションはある。Qアノンは、トランプのコアな支持者と重なり、2021年1月の連邦議会議事堂に突入したものもいる。
Qアノンは、2017年に2ちゃんねる的な匿名掲示板4ちゃんにQという名前で投稿された不可解なメッセージから始まる。近々、ヒラリー・クリントンは逮捕される、と投稿は予言するが、むろんヒラリーは逮捕されず。その後も、暗号めいたメッセージを投稿していく。アノンとは「anonymous(匿名=名無し)」のこと。Qのメッセージを大勢のアノンたちが「解読」していく。大統領になったトランプが、しかし思うようにリーダーシップを発揮できないのは、トランプを邪魔するもの(ディープステイト=闇の政府)が妨害しているからだ、とQアノンは考える。その「証拠」を「見つけて」いく。(証拠を見つける、というのはあくまでアノンの視点であり、第三者からみると「勘違い」「こじつけ」にしか見えないが。)
トランプの集会にQのマークをつけてQアノンたちは姿を見せる。戸惑っていたトランプ政権や共和党も、やがてQアノンの動員力に頼るようになる。表立っては認めないものの、Qアノンの存在や主張を否定しない。Qアノンたちは、ちゃん掲示板からソーシャルメディアに場所をうつし、神官たる陰謀論インフルエンサーたちが、せっせと動画を作っては布教していく。現実世界での暴力事件にも発展し、一時期Qアノン(関連者)への取り締まりもあって、影響力は減じたに見えたが、2020年からのコロナ・パンデミックに乗じて、勢いを取り戻す。大手ソーシェルメディアやYouTubeなどはQアノンを排除したが、時はすでに遅く、共和党の中にもだいぶ入り込んでいた。本書の原著は2023年なので、その後のトランプ再選にどうQアノンが関わったかまでは書かれていないが、まったく無関係でもないだろう。また、共和党の一部に溶け込んだQアノンたちが、二度目のトランプ政権時に、政治・行政に影響を与えるだろうことも想像がつく。
本書を読んでいて感じた「恐怖」について述べたい。
1つ目。もはやQは誰でも・どうでも良い。本書は「Qは誰か?」を追跡している。そして、おそらく「この人(たち)だろう」とあたりをつけている。しかし、その後につづくQアノンたちにとって、Qが誰で何を言っているかは、どうでもよい。じじつQの言葉はほとんど参照されない。むしろ陰謀論インフルエンサー経由でQの思想は広まる。逆にいえば、「Qはデタラメでした」と実証できても、Qアノンは止まらないだろう。それに陰謀論なので実証的に説得することも不可能なのだが。
2つ目。Qの主張はほんとうに信じられているのか? 信じているものもいるが、信じていないものもいて、混ざり合いながら、Qアノンを構成している。陰謀論インフルエンサーの中にはビジネスでQアノンをやっている人もいる。ではインフルエンサーすべてが信じていないかというとそういうわけでもなく、混ざり合っている。末端のQアノンはガチの信者もいて、家族関係が壊れていく事例も報告されている(日本の『情報パンデミック』のコロナ陰謀論で崩壊する家族と状況は同じ。)Qアノンの主張は広く(陰謀論なのだで)、誰かしらどこか信じているところがあるから、Qアノンにひかれるし、Qアノンから引き剥がすのも難しい。
3つ目。そもそも陰謀論の土台があった。Qアノンの前に「ピザゲート事件」があった。これは民主党陣営から流出したメールに「ピザ屋(の名前)」と「チーズピザ」という単語があったが、それを「このピザ屋ではチャイルドポルノが取り扱われている」とネットの掲示板で主張するものがあらわれたのだ。cheese pizzaがchild pornの暗号である、と彼らは読解した。このピザ屋はネット民い「監視」され、中には武器を持って襲撃するものも現れた。これはQアノン以前の出来事である。しかし、Qアノンのやっていることと同じである。つまり、Qアノンは、何もない空間から突如として生まれたわけではなく、政治不信(エリートが中央を支配している)と匿名掲示板が醸成した陰謀論の一種であり、最初でも最後でもない。だからQが本物でもデタラメでも関係ないのだ。たまたまQだったが、 Pかもしれないし、 Rかもしれなかった。Qに偶然以上の意味はない。
4つ目。では、QをQアノンに増殖させたものは何か。政治不信と社会からの疎外感がまずある。自分たちの声を政治に届けてくれるはずのトランプ大統領(当時)が思うように指導力を発揮できないフラストレーションもあるだろう。ディープステートはトランプの限界を説明してくれる。さらに「悪魔的儀式による虐待」が登場するのは、これが初めてではなく「サタニック・パニック」として1983年に、保育施設の人が逮捕・起訴・有罪にされたことがある。もっとずっとさかのぼると「反ユダヤ主義」にたどり着く。「児童の人身売買」は、裁判所の判断で親権をとりあげられた親が、自分の子を「取り戻す」理由として持ち出す(裁判所は、「薬物濫用」や「虐待」などの理由で親権を停止したのだが。)アメリカの歴史的・文化的・政治的背景が関係している。
5つ目。家族がQアノン陰謀論にハマったら、どうしたらいいのか。どうしようもないーー少なくとも今のところは。Qアノンについて記事を書いている筆者のところに多くの相談が寄せられている。「家族がQアノンにハマってしまった。どうしたらいいのか?」 筆者はその道の専門家に解決法を尋ねている。しかし、答えは芳しくない。論理的に説得(相手の主張を否定)しても、逆効果になるだろう。陰謀論から抜けた人もいるが、ふとしたきっかけで本人が気づくことがあるが、説得すればそうなるわけでもない。陰謀論以外の話をし、人間関係をとぎれさせないことが大事だと言われるが、身近にいる家族だとなかなかそれもしんどい。
6つ目。Qアノンはアメリカだけではない。国際的に、多少の変化をしながら、広がっている。ここ日本にもある。コロナ陰謀論を主張する団体でQを掲げている団体もいた。
他にも書きたいことはあるが、だいぶ長くなったので、ひとまずここで終わり。