アメリカADAツアー⑨
2015年7月24日記録報告
えーと。
出国前日の23日、
夕方16:50くらいに呼吸器用の鉛バッテリーの許可が下り、
残るは機内での酸素流量は1リットルでいいよ、
という主治医の診断書のみとなりました。
夕方、主治医に診断書の書式をメールで送り、
記入後スキャンしてまたメール添付で送り返してもらうことに。
いろいろあって、その診断書が届いたのが夜の22時くらい。
すぐにそれを旅行会社に転送して、23時就寝。
24日は予定通り3時に起き、
就寝中使っていた呼吸器用の加湿器や回路や
車いすの充電器なんかを荷物に詰めて最終確認。
道中使うもの、
機内で使うもの、
ホテルに着くまでは使わないもの、
の3つに分類しながらパッキング。
5時に、本の校正原稿を出版社に発送、
予約してたタクシーに乗り込んで出発。
立川から6時4分の成田エクスプレス。
8時に成田第一ターミナル到着。
さて、チェックイン、どうなるかなぁ。
なんせ車いす11人。
空港のスタッフもてんやわんや。
いつもの様に、
「バッテリーの種類を確認させていただきますね」と、
スタッフ2~3人掛かりで膨大な書類の束
(「よく分かるバッテリー適合本」みたい)持って点検。
「えーと…。お持ちのバッテリーは…
どちらの何になるんでしょうか…。」
でた…。最初にちゃんと書いて提出してるのに、
また同じこと延々聞かれるタイム。
「ヤマハのリチウム2個です。1つは車いすを動かす様、
もうひとつは呼吸器を動かす様です。
まったく同じものを使っています。
280whだから、預入は1個しかできないでしょ?
だから、もう1個はカバーかけて機内持ち込みします。
でも280whもあると、機内ではリチウム使えないみたいなので、
機内では鉛バッテリーを使用します。
鉛バッテリーは12v×7Aくらいで100wh超えていません。
それが2個セットで1個のバッグに入っていて、
4個バッグを持っていきます。
ということで、どうぞ好きなだけ確認してちょ。」
と、聞かれる前に伝えられることはすべて伝えてみたものの、
私のこの高度な技についてこれるかしら…。
「えーと…。まずは…。」
空港スタッフさん、目が点。
そうだろう、そうだろう。
「まずはリチウムから確認したら?」
「そうですね…。じゃ、ちょっと失礼します…。」
ホントに失礼だよ、前もって申告してんだから、
この時間ムダなんだよ、毎回毎回。
「あの…。」
なんですか?
この期に及んで何か文句でも?あ?
私、早く両替したいし、トイレも行きたいんですけど?
「このリチウム、おひとつは呼吸器用とのことですよね?
車いすの予備バッテリーならおひとつは機内持ち込み可能なのですが、
携帯用医療機器のリチウムは、160whまでしか持ち込みできない
という規定が…あるようです…あります…。」
あん?
あなた、それ今、調べて分かったんですか?
私が何日も前にやり取りしてた内容を、
バッテリーチェック係のあなたは
まったく聞かされてなかったってこと?
仕方ない乗り切るしかない。
「このリチウムは、今は呼吸器動かしているけど、
要は車いすとまったく同じものな訳。
携帯用医療機器のために作られたものではない訳。
だから、車いすの予備バッテリー扱いにしちゃってよ。
そうしてくれないと、私困るからさぁ。」
「あ、そうですね!そうしちゃえば大丈夫です!オッケーです!」
なんだよ、もう…
そのようにマニュアル本に付け足しといてくれ!
その後鉛バッテリーもスムーズに通り、
無事すべてのバッテリーチェック通過。
チェックインに要した時間は1時間。
機内では、相変わらずCAが酸素ボンベの使い方分かっていなくて
教えてあげたりしたし、
ボンベ交換お願いしますーって頼んだ時に、
「こちらのボンベはお客様持ち込みでしょうか?
当社のものでしょうか?」
って聞かれた時にはさすがにずっこけたよ…。
散々揉めて1本1万で買ってるんですよー!
CAには、まったく引き継ぎされてないっていう…。
途中ぼやーっとしてて、
ボンベ空っぽになったまま気づかずにしばらく過ごしてしまったため
(酸素無くなってたからぽやーっとしてたのかなぁ?)、
結局片道3本用意してもらってた内2本しか使わんかった…。
返金してくれないかなぁ。
そして無事DCに到着。
空港からホテルまで、
Super Shuttleっていうリフトバンを予約してたのに、
チェックアウトして出てくるのがとても遅くなったので、
車、いなくなっちゃってるんじゃなーい?大丈夫~?
って心配だったんだけど、荷物を運んでくれた空港スタッフが、
バンのチェックインカウンターで何か言ってくれて、
代わりに手続きやってくれた…。
で、10分くらい待つと、空港スタッフが
「OK. Lets go out.」とか言うので、外のロータリーに移動。
……バン、見当たらないらしい。
さすがに面倒見のいい空港スタッフも、
なんだよもう!ってなったのか、
「もう…。こっちのに乗っちゃいな」
と、全然違うタクシーに誘導。
え?なに?どゆこと?
と思いながらとりあえず乗り込んでみたものの…。
あれ…。
私、Super Shuttleにもう振込してんだけど、
このタクシー乗ったらまた別に料金かかるんじゃないの??
ということにハタと気付いた訳ですわ。
ヤバいー!
もう走り始めるというタクシードライバーを引き留め、
「ちょっと!私たち、Super Shuttleにもうお金払ってるんだけど、
こっちにも別に払わなきゃいけないんだったら降ります!
今!ここで降りるから!」
というようなことをなんちゃって英語でまくし立てたら、
ドライバー、かちゃっと運転席を降り、
ツカツカと後ろの席に来てガチャッとドアを開け、
「Sorry, I don't understand you...」
あー…これは、殺されるかも…。
でも、あたい、めげない!(泣
「だーかーら、もうSuper Shuttleにお金払っちゃってるから、
これ以上払いたくないの!
すでに払ったお金でホテルまで行きたいの!」と、
もう一度なんちゃって英語を炸裂させる。
するとドライバー、
「You don't need pay extra money.」
と言うではないか。
え?いらないの?
あなた、どこからこの仕事分のお金もらうの?
まぢで?
ならいいのよ。
出発出発。ほれ。
というわけで、無事?ホテルに辿り着きました。
ほ…。
後から聞いたところ、
あれは、空港付きのタクシーだったそうな。
すごいね、空港がタクシーサービス持ってるなんて。
お金の件についてはナゾだけど。
ホテルに着いてからは、
近所のスーパーに散歩した後、
今回の主役であるADA(障害のあるアメリカ人法)を
成立させるための障害者運動の中心人物のおひとり、
故マイケル•ウィンターさんの奥様でいらっしゃる
桑名敦子さんとのお食事会。
敦子さんには、
今回、私が呼吸器や酸素やバッテリーでバタバタして、
準備の余裕まったくなし!
という時に、アメリカ現地でPOCの手配や
タクシーの手配を手伝ってくださり、
ホントにホントに助かったのです!
無事にアメリカに来られたのは、
敦子さんのご協力あってのことで、
心から感謝しています。
夕食会での敦子さんのご挨拶の中の、
「差別している方は悪意がなくても、
差別を受けた方が差別をされてると思うのが差別。
それを実際に感じ取り、周囲に伝えていけるのは、
障害当事者だ。」
という言葉が印象に残っています。
誰かがやってくれればいいや、
ではなく、
感じた自分が動く。
それが一番大事。
と、お食事会が終わった時点で、
私、31時間くらい寝ていないことになっており、
トイレも20時間くらい行ってないことになっておった訳で、
そろそろ寝るか、と、ぱたんきゅーしました。
そんな、盛りだくさんな1日。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?