疑惑。
疑惑。
太宰治の作品に「富嶽百景」という小説があります。この作品に太宰治が当時、師と仰いでいた井伏鱒二と山登りしたエピソードが書いてあります。
1938年、山梨県にある三ツ峠に登った太宰治と井伏鱒二。太宰治は頂上に着いた時の様子をこう記しています。
『井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた。いかにも、つまらなさうであつた。』(太宰治「富嶽百景」より)
尊敬する師匠が山のてっぺんでつまらなそうに屁をこいた、というエピソード。
これを見た井伏鱒二は「事実無根である。」と事あるごとに言い放っていたそうです。それに対し太宰治は「いや、師匠。確かに屁こいたっすよ。」と反論。
この「屁こいた・こいてない論争」は有名な話らしい。結局、真実は謎のままなのかな。
井伏鱒二はこのあとも「屁こいてない!」と反論し続けたそうな。
山のてっぺんで屁をこいた師匠を物語にするとは太宰治もなかなかの放屁芸術家。
「山頂」という壮大な風景に溶け込む「師匠の放屁」に感じるものがあったのでしょう。ネタにされた師匠はたまったもんじゃない。笑
あと、農林学校の教師をしていた時の宮沢賢治の話もひとつ。
授業をまともに聞いてくれない生徒にすっかり心が折れた宮沢賢治。何を思ったのか、手に持っていたチョークを無言でガリガリ食べ始めたそうな。
もちろん教室が一瞬のうちに静まり返ったことは言うても言うまでもない。
歴史に名を残す人ってどこかぶっ飛んでるよね、という話でした。
ぶっ飛ぶといえば、中学のとき「ぶっ飛び」というあだ名の先生がいました。名字に「飛」が入ってたことが由来していると思われます。
男子たちは皆、先生のことを「ぶっ飛び」と呼んでいたけれど、女子たちは「ぶっ飛びさん」となぜか「さん」付けで呼んでいました。
先生へ敬意を表して「さん」付けしていたのかもしれないけど「ぶっ飛び」と発音している時点で敬意が迷子。
真面目でとても熱い体育会系の先生で、そんなにぶっ飛んでいなかった気もしますが。多感な時期の生徒がつけるあだ名は時に残酷でストレート。でも、なぜかそういう思い出だけは忘れられないんだよね。