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ひと夏の読書:受賞作品はお嫌ですか?

こんにちは。
慣れない図書紹介をやろうとしています。笑
そんな気になったのは、たまたま先日 「読書ネタは無いんですか、きっと沢山読んでるんでしょ~?」というコメントをいただいたからなんです。

前にも書きましたが、わたしは本を買うことが滅多にありません。
読みたい本があると図書館にリクエストして、順番が来るまで辛抱強く待っています。
そういう訳で、やっと今月になって手元に届いた2冊の本について、これからご紹介したいと思うのですが、その両方がたまたま結構な賞の受賞作でして、それなりに話題になっていたものでありました。


そうは言うものの昨今は、名だたる大賞を受賞した作品が、一般読者からは案外に読み応えが無いとか、売れないとか後評されることが多く、一発だけで後が続かない、ベストセラー作家に成長しないという傾向もあながち否めないようです。(わたしが偉そうに言うことじゃないですけど)

そんな中にあって、敢えて今回ご紹介したいのが、
以下の2作品になります。



①海を覗く    伊良刹那著
2024年3月25日  新潮社刊
第55回新潮新人賞受賞(受賞時17歳で史上最年少)



②猫と罰      宇津木健太郎著
2024年6月20日  新潮社刊
日本ファンタジーノベル大賞2024受賞
(受賞時32歳、過去にも他大賞の受賞経験あり)


この2作品に共通しているのは、名だたる大賞A賞N賞とまではいかずとも、錚々たる応募作品の中から頂点に選ばれた一級の作品だという点になりましょうか。
将来のことまでは誰にも保証できませんが、少なくとも本作品に於いては非常に目を引く内容で、ご紹介するに吝かでないと感じた次第です。
以下、私見偏見の多い文章であるうえに、実のところ書籍自体は既に図書館へ返却してしまって手元にありません。
よくあるネットの口コミ等も一切読みません。
従いまして、これから述べるものは標準的な感想からかけ離れているかもしれませんし、印象に残った断片的なイメージの伝達に過ぎないとも言えます。
お伝えしたいのは、
久々に文学の香りに陶酔でき、また言葉を用いて物語を綴るという人間行為の本質が描かれることへの「喜び」とでも申しましょうか。



◇◇◇図書紹介◇◇◇


①海を覗く
高校の美術部が主な舞台で、芸術を観念的哲学的に捉える主人公(男子高校生)が、秀麗な容貌の男子生徒の肖像画を描き進める日々が、物語の時間軸となっています。芸術の真髄を追求し絶望を伴うストーリー展開ですが、何しろ文章が古典的で難解。見たこともない漢字や知らない熟語がぼろぼろ出て来ます。
けれども、秀麗な文学を感じさせる言葉たちが、華やかな織物のように展開され、正直よくわからないにも関わらず陶酔してしまうのです。
(笑わないで下さい!)

17歳の青年が、どうやってあのような語彙を習得し使いこなしたのでしょう? 理解を超えています。
作者は三島由紀夫に心酔していたらしいのですが、もう少し古い明治の文豪の香りが漂います。古典文学を模して書いてはいますが、ただのすり直しとは違った味がするようなんです。

作者の3倍以上の年月を生きているわたしですが、この作品を読んで驚かされた表現や綴りを、いちいち挙げていてはきりがありませんので、印象に残った言葉がの中から、ひとつだけ記させてください。
それは、「二六時中」という言い回しです。
現代のわたしたちは「四六時中」という言葉で、どっぷり一日中というニュアンスを表現しますよね。これは明治初期に日本に太陽暦がもたらされた際、同時に二十四時間制も導入され「四六時中」という言葉が用いられるようになったことに始まります。(4×6=24時間=1日)
それ以前の江戸時代では、ご存知の通り十二刻で時を数えていましたので、「二六時中」という言葉が使われていたんです。(2×6=12刻=1日)
この旧い表現を、「明治の文豪あたりは好んで使用して、渋みと懐古を含ませた」というような話を、以前なにかで目にして、わたしは たまたま知っていました。
しかし、ここ30年間以上の自分の読書履歴をふり返っても、「二六時中」にお目に掛かったのは、この作品が唯一です。

「オマエ、わかって書いてんのか??」と言ってやりたいですが、わかって書いてるんでしょうね。一事が万事。おそるべき17歳です。
久しぶりに、文学に酔わせてもらいました。



②猫と罰
「猫には九つの命がある。」
という書き出しで始まる物語の、主人公は1匹の黒猫で、この猫が一人称で自分の9回の猫生を語ります。その内の1回は、あの夏目漱石の猫だったという設定で、おもしろいのはこの物語に登場する猫たちが、どれも過去に文豪に飼われていた前世を抱えているというあたりでしょうか。これは、この物語の核心に迫るうえでの重要な設定でもあります。

では、その物語の核心とは何かといいますと、まさに「書くこと」の意味です。ネタバレとは違うので書いてしまいますが、本文の後半中で語られています。
「自分の力で、自分の知性で、文字の力だけで一つの人生を描いて、完結させる。その力を持つことの素晴らしさこそ、人が群れを作り共感し、協力することの出来る理由であり、力の源だと信じている」


noteの世界に集う人たちも、誰もが「書くこと」や「読むこと」に魅了され、磁石に引き寄せられるように惹かれ合っているのではないでしょうか。
まさにこの世界の意義が語られているようで、読んでいて胸が高鳴ったものです。

ひょうひょうとした黒猫の語り口は、媚びもせず愛嬌もありませんが、古典的で心地よく響きます。あの「吾輩」の生まれ変わりかと想像するとおもしろく、尚更しっくりと来るものです。登場する猫たちの過去生、そして「罰」とは何なのか。
noterさんであれば、感動まちがいなしです。


以上、2冊のいずれも今年刊行された本を、感じたままにご紹介させていただきました。
慣れないことを致しましたので、誤記載や認識違い等ありましたら、ご教示願えれば幸いに思います。

まだまだ残暑の夏が続きます。
休日には涼しいお部屋で読書を楽しむのも、またよろしいのではないでしょうか。

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