【フーディー】という生き方をする人たち
遅ればせながら、以下の本を読んでみた。
食に携わる人間として、読むべきだと思っていたけれど、
出版されたのは2024年6月だから、
ちょうど職業訓練校がスタートしたタイミングという事もあり、なかなかそこまで至らなかった。
遅ればせながら。という表現がまさしく正しい。
フーディー=お客様のプロ?
いや、実際にはお金を払い、美食の体験をする人を
「フーディー」と呼ぶので、プロではない。
が、考え方や情報の発信に責任を持つという意味合いにおいては、
著者の浜田さんは、まさしく「プロフェッショナル」そのもの。
これまでの経験談を余すところなく書かれていて、
目から鱗、そして飲食店で働く人たちの想いや背景を、
ものすごく上手に描かれていて、
シェフ=芸術家、職人
という人たちにとっては、
励みとなる存在であるということを深く知ることが出来た。
というのが、率直な感想でした。
歴史を紐解く
目の前にある作品(料理)のみならず、
しっかりと歴史的背景までも紐解きながら考察されている。
これが本当にすごい。
数多の芸術家、職人(シェフ)の考え方や、
アプローチなどもしっかり踏まえた、
歴史的背景のある考察は、
浜田さんが文中に、
「美食は文化を丸ごと食べること」
といった表現からも、すごく納得の言葉だった。
歴史と文化は切り離せない。
知らない事ばかり
食の業界に携わる身として、
「知っておかなければならない事」
と、
「時代の流れをつかむこと」
は、
とても重要だと思う。
そうした意味合いにおいて、
この本は全世界(という表現が正しい)を網羅し、
かつ、まさに時代の流れを整理整頓してくれている、
いわば、【食業界の人達のための教科書】だった。
恐らく知っていることも多数ある人もいると思うけれど、
その中で、これは流石に知らなかった。
というお話が満載だと思う。
僕にとって、幾つも知らない事があった中で、
「韓国の精進料理が素晴らしい」という事は、
目から鱗の、新しい発見の一つだった。
フーディー=食の繫がりを紡ぐ人
そもそも昔の「美食」とは、単に権勢を誇る象徴であったり、
時の権力者が欲望を満たすためだったり、、、
それが今やSNSを始め、自己アピールになるものだったり、
金持ちの道楽的な、といったイメージが先行しがちではないかと思う。
けど、実際は違う。
僕の率直な意見として、
フーディーと呼ばれる人たちは、
「求道者」であり、
誤解を恐れずに言えば、
芸術家の作品を消費する、芸術家なんだと思う。
決して評論家ではない。という事だけは間違いない。
そして、それぞれの文化を丸ごと理解して、
繫がりを次世代へ紡いで行く役割を担っているのだなぁと感じた。
食に携わる人たちの未来を憂う気持ちは同じ
以下の記事でも書いた事ですが、
著者の浜田さんは食の仕事をせず、消費する側からの見え方として、
いくつかの箇所で同意見を発信してくれていた。
二極化が進むこと
人の問題
加えて、
円安・インフレ・インバウンド
サステナビリティ
食材の未来
と、知見に富んだ内容は、
本当に学びが多いという思いと共に、
浜田さんのおっしゃる、
美食とは文化を丸ごと食べること
という意識を持った方の発信に、
これからも期待していたいと思っています。
「美食の教養」は、食業界に携わる人たちにとって、
とても秀逸な教科書でした。