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学力テストに思う義務教育の在り方と、これからの教育に思うこと

便利は能力を奪うか?

先日発表された学力テスト。

思考力や表現力などが必要な問題 平均正答率が低い

という結果になったようだ。

恐らくだが、大人も子供も、
「思考する」や「表現する」
の質が落ちてきた一番の理由は、
便利だと思っている。

色々なところで警鐘を鳴らしている声も聞くが、
是非を問おうが問うまいが、時流には勝てない。

僕は飲食店が生業だったので、
学生のアルバイトの変遷を見てきたが、
近年は特に、正解を事前に求める傾向が強い様に思う。

あっていようがいまいが、考えて試す。
というアクションが薄くなっているのは、
肌感として感じる。

始める前から、労せず正解を知りたがり、
かつ、違う事があった場合に受け入れられない。
まさに、「思考力」の欠如だ。

インターネットの所為かもしれないなぁ。
と思っていた。


「ミス」は悪いことではない

面白い本がある。

生物の進化も、遺伝子のミスコピーから始まります。生命がノーミスの存在だったら、地球生命は誕生から40億年経った現在でも、海の中の単細胞生物のままだったかもしれません。

辺境生物はすごい!より抜粋

ミスの積み重ねが生物の進化を助け、現在に至った
というのが事実で、ミスの先に成長があるならば、
どうミスするか?がとても大事だ。

現在はなかなかミスを許してくれない世の中でもある。

モンスタークレーマーみたいな言葉が生まれたのも、
理不尽な人が増えたから。という訳ではなく、
個人がメディアを持ったからだと思っている。

昔から理不尽な人は一定数いたはずだ。
一定数の理不尽客が、何かの折に炎上する。
例えばお店側の対応が悪ければ、
個人のメディアを使って袋叩きにされる。

まぁとかくものが言いづらい世の中だ。
そんな世の中を見ていれば、
ミスりたくないと思う気持ちも分からんでもない。

が、ミスをしないと成長しない。
そのために必要な素養が、素直さだ。

先述の本にもあるが、「プライドを捨てる」こと
だと書かれている。詳しくは読んでみて欲しいが、
いつも自分が考えていることをそのまま書いてくれている。

きちんと素直さを持ち、ミスを認め、
謝罪・改善対応することが出来た上で、

下げた頭を上から踏みつけるような対応をする人は、
今後関わらなくて良い人だと思えばいい。
と僕は思っている。

ミスの捉え方と、その時の自分の在り方を、
教えてあげられる義務教育だと良いなと思う。


思考力と表現力が低くても

僕は思考力と表現力が全体的に落ちていようと構わない。
もう時流がそうなのだから、一定基準に達してさえすれば良いと思う。

その代わり、抜きんでている人にこそ、
更に抜きんでる術を教えられる様になって欲しい。

なんなら画一的な義務教育は小学校までで、
その先の中学からは、授業ごとに得意分野で割り振ったクラス編成にすれば良いとさえ思っている。
大学の単位制のように。

責任も取れないのにメチャクチャな論理だと自分でも思う。
けど多分、数学と国語だけの学力テストの種類は増やせて、
平均点の水準が爆上がりすると思う。

要はダントツになる手助けが出来る教育であればいい。
「専門性の特化教育」を中核に据えるべき教育論に僕は同調している。

なので、思考力・表現力だけでなく、
例えば想像力や分析力など、抜きん出た能力を持ってる人をそれぞれ育てられる教育であれば素晴らしいと思っている。

きっと学校に行くのが楽しくて仕方がないはずだ。


読解力はマーケティングに必須だ

最後に嬉しいニュースもある。

ググる行為が基礎となっているからなのか、伸びた力が読解力らしい。
仕事をする上で読解力は、対象相手を研究し施策を考える仕事、とりわけマーケティングに欠かせない能力だと思う。

これに想像力と思考力と表現力のスキルの高いチームを作って、
プレゼンなんかしようものなら、めちゃくちゃ面白そうだ。

そんなカリキュラムもあっていいのではないか?
と思った。

少子化だからこそ、画一的ではない教育も、
教師のアップデートも必要ではないかと思った。

話が続いて終わらなさそうなので、今日はこの辺で。
お読み頂きありがとうございました。

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